2009年12月13日日曜日

真実を解説するのも、受け取るのも難しい

特に、沖縄の基地のこと。


与党内で意見が食い違っていることを、非難する人がいる。
しかし、意見が食い違わないとしたら、どこで統一すればよいと思っているのかは、きっと、バラバラだろう。
もしかしたら、自分の考えを持たずに、ただ、意見が食い違っている状態だけを、訳も分からずに批判している人も多いのではないかと思う。


仮に、早期に意見が統一されてしまったとする。
すると、その案は、沖縄県民、日本国民、アメリカ政府と間で板挟みになって、それぞれの主張をぶつけられることになる。
そして、対外的には、アメリカの主張を要求されるような交渉に、入らなければならなくなる。


しかし、今のもめている状況が長びけばどうだろう?
おそらく、アメリカは、最悪の状況にならないように事前に譲歩することも考え始めるだろう。
沖縄県民や日本の国民の気持ちを汲んだ、日本にとって最も良い案をアメリカに受け入れさせるために、つまり、アメリカの譲歩を最大限に引き出すには、日本国内での大モメを演出する必要があるのではないかと思う。




もし、そのようなストーリーがあるとしたとき、それをどう解説するのか?


まさか、テレビで、「これは、アメリカの譲歩を最大限に引き出すための演出ですよ」とは、解説はできない。
つまり、真実を伝えることはできない。
だから、「これは、連立失敗ではないでしょうか…」、「民主党は崩壊寸前ですね…」といった解説になるだろう。


仮に、本当に裏の意図があるときに、「別の意図があってそのような演出をしている」ということを理解していない解説者でも、同じ解説になってしまう。このメッセージから、真実を受け取るのは難しい。


さらに、裏の意図がないことも考えられるので、真実を受け取ることは、なお難しい。




だから、段取りの良し悪しをいちいち批判しても意味はないのだ。
信じるに値するのはだれか?
ここが一番重要だ。


さて、それは何を頼りに判断すれば良いのか?


それは、各人のを頼りに決めれば良いのだろう、
考えのない解説者の言葉に惑わされることなく・・・。





2009年12月9日水曜日

日米同盟に関する私の妄想

簡単に書くと、現在は、「日本は、安保条約があるから、アメリカによって、仮想敵国3国から守られている」と認識されていると思う。

しかし、本当にそうなのだろうか?

では、もし、安保条約を破棄したとしてら、それらの国は、本当に攻め込んでくるのだろうか?

可能性はゼロではないかもしれない。

でも、私は「かなり低いのだろう・・・」と根拠もなく想像している。


本当に危険な国は、実は、アメリカなのではないか!?

一番初めに、某かの因縁を付けて攻め込んでくる恐れがあるのが、アメリカではないかと思う。


これまでは、属国的に振る舞うことで、関係を保ってきたように思う。

そして、今、そんな国と、始めて「対等な国」として交渉しようとしているのではないか?

かつて、イラクが、ブッシュに「危険な兵器を隠し持っているに違いない」と因縁を付けられていた。

そして、結局、アメリカの思惑通り、戦争に突入し、イラクは攻撃の対象とされてしまった。

まだ、日本のみんなには、あまり危機感はないかもしれないが、今の日本は、そのときと同じような状況に置かれているのではないかと感じる。

例えばなしで書くと、『家に押し入って住みついてしまった強盗に対し、家の主が「どのように説得したら出て行ってもらえるのだろう・・・」と思案している』という感じに近い。


今まで通り住まいを提供し続けるのか、それとも、今度こそ、我が家を取り戻せるのか?

目が離せない・・・

2009年11月17日火曜日

「けんけんごうごう」と「わきあいあい」の両方が大事かも…

テレビのニュースなどで、事業仕分けをやっている様子が、度々放映されている。

その様子を見ていると、ケンケンゴウゴウとやっている感じが伝わってくる。
 
マスコミは、「官僚には自浄能力がない」ことを前提として報道し、それを私たちも当たり前のこととして受け入れてしまっているような印象を受ける。

そして、
  • 民主党に改革が出来るのか?
  • いや、改革が出来るのは自民党か?
といった議論に誘導する。

マスコミは、官僚の手下なのか?

本当に問題なのは、
  • 自浄作用が働かないこと
  • 正義とは掛け離れたことが行われていること
ではないかと思うのだが…。


しかし、「官僚たちに、本当に正義は無いのだろうか?」という疑問も残る。

今の状態は、本当に、官僚たちが望んでいるものなのだろうか?

 
さっぱり分からない…。

報道も問題だが、仕分けのやり方も問題なのかな…。


たぶん、今の事業仕分けのような、建前と建前のぶつかり合いだけでは、その辺が見えてこないような…。
  • 「いやぁ~、ここだけの話し、本当は私も不要だとは思っているんですけど…、困っちゃうんですよねぇ~」、
  • 「そんな事情があれば、困っちゃいますよねぇ~」
って感じに、ぶっちゃけ合うことも必要なんじゃないかと思う。


公開での議論は、建前で通すしかなく、ぶっちゃけ難い。

だから、ケンケンゴウゴウとなるのは必然かな。



私は、「ぶっちゃけ」話が、とても気になる。
ぶっちゃけどうなっているのか?


それがないと、闇は闇のままにことが進むような…
問題は税金の無駄遣いだけど…。


今の「公開で行う」というやり方だけでは、形式的には透明なのだが、「ぶっちゃけ」がないので、真実に対して不透明であるという状態は、過去の状態と何も変わらないままであるような気がしてならない。

2009年11月10日火曜日

日本の教育を良くするためには、偏差値という概念を廃止すれば良い

高校・大学進学を考えるとき、必ず直面させられるのが『偏差値』だ。
  • 自分の偏差値
  • 進学先学校の偏差値

それを比較して、自分たちが当てはまる枠を探し、その枠に自分たちを当てはめていく。

例えば、大学入試。
偏差値によって、合格の可能性のある学校を絞り込み、入学試験を受け、無事入学という運びになる。そして、無事入学したら、その学校にある限定された部門の中から自分が勉強したいことを探し出し勉強を始める。運が悪ければ、勉強したいことが見つからず、入った時点で目標を見失ってしまう。

偏差値は、自分が進学に失敗して浪人したいための大切な指標として大いに活用されている面はある。しかし、その本質は、教育産業を維持するための指標だということに、社会は気付かなければならない。

もう、そろそろ、偏差値なんて概念は消し去ってしまえば良いんじゃないかと思う。(ついでに、センター試験も…。)

なぜか?
それを理解するためには、偏差値という概念がなくなったときのことを想像してみると良い。


偏差値という指標が存在しない中で、進学先をどのように決めれば良いのだろうか?

「入学試験に合格できる学校」という視点では探せなくなる。

 では、何によって探すか?

その学校が自分にとってどのようなメリットがあるのか?」ということに意識を向けなければ決められなくなる。

 つまり、「偏差値の高い大学」なんていう分類は無価値になるのである。(高校を選ぶ時は、有名大学への進学率なんて基準はあてにならなくなる。)
  • その大学では、何が勉強できるのか?
  • 何を研究しているのか?
その辺のことに注目して、決めるようになるだろう。

例えは、理系であれば、誰かが書いた論文の追検証ばかりしているような研究室しかない大学だと知れば、行きたいとは思わない人も出てくるだろう。

学校は、今の偏差値に基づいた進学システムの上に、アグラをかいてはいられなくなる。実績を残さなければならない。実績は無くても、少なくとも魅力的な研究をしなければならなくなる。「大学」というだけで存在しているような大学は淘汰されるだろう。


大学側にもメリットはある。
自分の研究していることに興味を持った人が集まるようになり、学問の発展は加速するだろうと思う。

そして、勉強に興味のない人は、無理に大学に行く必要も無くなる。それが社会の前提になれば、大学に行かないことに引け目を感じる必要も無くなる。

境界が不明確になっている教育と学問が分離され、学問は職業と並列の位置に正される。

その結果、乱立した大学の多くは、存続することが出来なくなるだろうが、それが、日本の学問の発展を妨げることにはならないだろう。むしろ、効率的に研究が進むことが期待できる。
 
また、多くの若者は進学という社会の妄想から解放され、自分の望む職業人となるための道を進めるようになり、様々な産業は発展するようになる。

このような流れの中で、保護者は、教育費という名目で大金を吸い上げるシステムから解放され、自分たちの生活を豊かにするためにお金が使えるようになるのだと考える。


「教育産業の保護はどうするの?」と問題提起をする人はいるかもしれない。

教育産業に関わる人たちは、今まで、甘い汁を長きにわたって吸い続けていたのだから、もういいんじゃない…。


その他に、一般の人から大金を吸い上げるシステムが存在している。
ぱっと思いつくのが不動産業。
証券業と金融業も怪しいにおいを感じている。
そのあたりのことは、また、私の頭の中に妄想が湧きだした時に書いてみたいと思う。

2009年10月28日水曜日

他人のブログに不法侵入していませんか?

ちょっと、強烈なブログを見てしまった。
そこには、あるブログを自身のブログで批判し、かつ、対象のブログにも批判のコメントを投稿しているような気配がある。
そのブログでは、過去にも何回も同様のことを様々なブログに対して繰り返しているようで、その攻撃から逃れるためには、次の2つしかないような感じなのだ。
  • 相手の論理を受け入れる(受け入れたふりをする)
  • ブログを閉鎖する
そのブログがあまりにも強烈だったので、他人のブログ記事を批判する行為のことを少し考えてみた。


まず、普通の生活のことを考えてみて欲しい。

普通の生活の中では、他人の家に、突然押し入ることはしない。
突然でなくても、入ってもいいかと尋ねて、ダメだと言われれば、入らない。
当たり前のことだ。
もし、そんなことをしたら、住居不法侵入で逮捕されてしまう。
たとえ法律で罪状が定義されていなくても、それは人間性を疑われてしまう行動だ。

ましてや、不法侵入してた家の住人に対して、「この部屋の電気が暗い」とか、「カーテンの趣味が悪い」とか、「よく食事で我慢してしているよね」などと言うなんてことは考えられない。
これも、普通の人なら、当たり前のように理解できることだ。


ブログは、殆どの場合、誰でも閲覧が出来るような状態でインターネット上に公開されている。
このインターネット上に公開されているということを根拠に、「公開されているのだから、それに対して言いたいことを言っても問題ない」と考えている人がいるようだ。
 「言われたくなかったら、公開しなければいい」という人もいる。

でも、その論理は見当違いだ。

一軒家を想像して欲しい。
その家は、ある部屋がガラス張りの部屋で外から丸見えだ。
たまたまその家の前を通りかかった人が、ガラス張りの部屋のベッドの配置が自分の趣味に合わないからと言って、その家の住人に「ベッドの配置を変えろ」とは、普通は言わない。

個人のブログは、部屋をガラス張りの部屋を作るよりも、更に、一歩進んだところに位置すると考えている。
部屋ではなく、自分の心の一部をガラス張りにしてみようとする試みがブログなのだ。

ガラス張りの部屋のベッドの配置に口出ししないのに、部屋よりももっと大事な心という部分をガラス張りにしたブログに対しては、平気で口出しする人がいるのは、不思議でならない。

そのブログが、誰かのブログを批判しているとしたら別だが、普通の人間のブログ(芸能人も含む)を、自分の考えとは違うからといって、相手の気持ちを分かろうともせずに、批判を書き込むのは、どうかと思う。(新聞記者や評論家、政治家といった人たちは、それなりの責任をももって文章を書いているので、批判も受ける覚悟はあるだろうと想像している。それ以外の人は、普通の人という位置づけになると考える。)

もし、何か批判的なことをコメントしたくなったら、そのブログの投稿内容ではなく、そこを素通り出来ない自分の心にこそ目を向けてみるべきだ。


他人のブログに執着する様子を、例え話にしてみる。

ある男が、知人からよく釣れる場所の情報を教えてもらい、そこで釣りをしようと車を走らせました。
しかし、彼は、道を間違えてしまいます。
それに気付かずに、車を走らせ続けると道の行き止まりになりました。
そこには、大きな池のある家が、一軒あるだけ。
彼は、仕方がないので、そこで我慢して釣りをすることにしました。
ところが、釣り道具を忘れたことに気付きました。
そこで、彼は、その家の住人を呼び出し、「池で釣りをするから釣竿を貸してくれ」と言いました。
住人は何が何だか理解できません。
彼は言いました。
「教えてもらった情報の通りに来たんだからここで釣りをするのです。」
住人は答えます。
「私の家の池ですから釣りはできませんよ」
彼は言いました。
「あなた何言っているんですか?ちゃんと、鯉が泳いでいるじゃないか。釣竿がないからそんなこと言っているのなら、今すぐ買って来て下さい。」
そして、突然自分が準備した釣りのエサを住人に見せながら「いいでしょ、このエサ!なかなか手に入らないんですよ。分けてあげましょうか?」とエサの自慢を始めました。
彼は機嫌良く釣りをはじめます。
彼は釣りをしながら真顔で言いました。
「それにしても、良いお住まいですね。私、気に入りました。一緒に住んであげますよ」
やがてその家の住人は、その家を手放してしまいました。
彼は思いました。
「これで、誰にも邪魔されずにのんびり釣りができる。あの住人がいたから窮屈だったんだよねぇ~」
「そうそう…」
彼は驚いて声の方を振り向きました。
ビキニを着た見知らぬ女が、池に消毒用カルキの錠剤をいくつも投げ込んでいました・・・。

そんな様子を新居から眺めていた元祖住人は思いました。
「直接関わらずに、外から眺めていたら、面白いんだけどなぁ~・・・」

「勝手に迷い込んできたくせに、それは無いだろう…」、そんな感じだ。

そこが、自分の目指していた釣り場じゃなかったら、その場所にこだわらずに、自分の釣り場を目指して出発すればいいじゃないか。

どうしてもそこで釣りをさせてもらいたいなら、それなりの段取りや誠意の表わし方があるはずだ。

どんなに綺麗だと思っている錦鯉でも、それを他人の池に勝手に放しはいけない。

当たり前のことだ。

誰かを批判しまくるようなブログでないのなら、そっとしておいてあげようじゃないか…。

大切な心を見せようとしているのだから…。

そして、そこは、その人にとっての大切な世界なのだから…。

2009年10月21日水曜日

貧困率は指標として妥当なの?

貧困率が発表されて、それによると国民の7人に1人が貧困状態であるということである。

でも、直観的に、この指標には疑問を感じる。

国民の大半が貧困に陥っているとき、今の貧困率の計算式は意味を持つのだろうか?



平均収入を基準に算出しているようだが、平均収入であれば貧困でないと言えるのかという論点が欠落している。

また、全体像を把握できるように、富裕率というのも合わせて発表されるべき指標である。それも合わせて眺めないと、本当の問題は見えてこない。



発表された貧困率は、「平均収入からの乖離が著しい人の割合」という意味しか持たない。


生活を切り詰めずに、標準的な生活をできる収入を基準とすべきだろうと思う。

標準的な生活って、どんな生活?

そんなことの検討から入らなければ、ただ単に数字を加工する数字遊びによって現実を議論していると、平蔵さんの二の舞になってしまう。

数字遊びはもうやめて頂きたい。

また、指標を持ちる場合は、その指標の持つ意味を正しく理解し、ネーミングも妥当なものとしてもらいたい。

今回の指標の正しいネーミングを考えるのは面倒だからやらないが「貧困率というネーミングが誤りである」ということは明白だと思う。

2009年10月18日日曜日

流通業・安売り業は、そろそろ自覚しなければならない

流通業(スーパー、コンビニ、量販店…)は、そろそろ自分たちが日本の社会を破壊していることに気づ付き、贖罪の日々に入らなければならない。

最近、「正直」を前面に押し出し、店舗を増やしているスーパーの特集をテレビで見かけた。売価は、他のどの店よりも安く設定しているという。その番組では、その経営者を大いに賞賛していた。


さて、ここから、話は一般論として述べる。

この安売りに取り組む姿勢が問題だ。その方法は、大きく3つある。
  1. メーカーに原価の値下げを強要せず、自らの内部的な努力によって、売価の引き下げを実現する
  2. 「販売力」というものを武器に、メーカーと原価交渉して、売価の引き下げを実現する
  3. 国内や海外の中から、原価の安い仕入れ先を探し、売価の引き下げを実現する
原価の引き下げは、メーカーを苦しめ、国内産業の空洞化を引き起こす。

また、効率化を引き起こし、その結果、人々は、仕事を奪われ、路頭に迷う。

少し、話は逸れるが、 温室効果ガス削減の流れの中、恐らく、多くの日本人は、中国に対して「なぜ、環境のことを考えないのだろう・・・?」という疑問や憤りを感じていることだろうと想像する。

なのに、この「安売り」をする経営者たちは、あたかも消費者の為の救世主や成功者のようにもてはやされる。(これは、マスメディアの責任かもしれないが・・・)

戦後、これまでの歴史の中で、スーパーや量販店は、日本の社会や文化をどれだけ破壊してしまったかを、自覚して欲しい。

流通業に限らず、大型チェーンは、もれなく地域社会の破壊者だと言っても過言ではない。

激安の散髪屋や美容院などというのものさばり始めた。

これらは、一般市民の立場に立てば、その時は、とても便利でとても助かるのだが、でも、将来的には絶望的だ・・・。



なぜなら、集落から、商店を消滅させ、商店を消滅させてしばらく活動したあと、不採算店の整理や倒産などといって、その地域から無くなる。

残るのは、住宅だけで、それは、廃墟の一歩手前の状態だ。やがて人は住まなくなる。

そんなことが繰り返されるのである。


そんな安売り・安値のチェーン展開を目指す諸君、
もし、その地域で、はるか遠い未来まで、そのサービスを続けなければならないという責任感がないのなら、もう、その活動はやめてもらいたい。

っていうか、そんな約束を出来る人など、誰もいないはずだ。

「いや、おれは約束する」なんていうやつがいたら、そいつはアホだ。

もし、商店街が発達している地域に、新規出店を考えているようなら、地元の商店をリスペクトし、出店は見送るべきだ。


成熟社会においては、企業は、もっと考えるべきことと役割があるはずだ。



亀井さんが、経団連の御手洗氏に言って話題(というか問題?)になった言葉がある。
その言葉で、亀井さんが言いたかったのも、こんなことだったのではないかと想像している。
こんなこととは、「経済や利益のことばかり言ってないで、社会問題に対して君たちにできることがあるだろう。なぜ、しない!」という感だ。


余談だが、成熟社会において「成長率」や「前年比」などという変化を表す指標は不要だ。しかし、それらの指標を重視して企業に某かを迫るような雰囲気を作り出す、株式市場やそれに関わる人たちも、もう少し賢くなってもらいたいものだ。

思いつきだが・・・
例えば、東証一部、二部などの上位に「東証安定部」っていうものを作るとか。その位置づけは、『社会に貢献する、最も信頼できる企業のみが上場できる』といったことにして、「◎◎比」とは別の基準で評価するのだ。例えば、社会貢献度とか・・。そこに属している企業に投資しているということにも、社会的なステータスを持たせても良いかもしれない。株主が主張できるのも、社会貢献に対してのみとして、利益や配当という低い次元の要求は出来ないようにする。

なんせ、企業を『~~比』という指標の呪縛から解放してあげることが重要だと考える。

2009年10月15日木曜日

「男女別姓」に関する議論についてひと言

最近、男女別姓についての報道をちょくちょく耳にする。
  • 男女別姓賛成
  • 男女別姓反対
それを主張する人それぞれに、それぞれの理由はあるだろう。

その理由には大いに耳を傾けるべきだと思う。

しかし、そんな真剣な議論に対して、テレビで評論家が「世界中で男女別姓が受け入れららていないのは日本だけだ。男女同姓にこだわれば世界に取り残される」みたいなコメントを恥ずかしげもなく吐いていたのには、虫唾が走った。

男女同姓、男女別姓に関わる問題に直面していないコメンテーターが、世界標準だと知ったかぶって語るんじゃない。

これは、「英語が世界標準になっているのだから、日本人は日本語は捨てて、英語にすべきだ」と主張しているに等しい。

世界と比べて、その相違を論拠にすることは、日本の文化を頭ごなしに否定することになり、やがて、良き日本の文化は消え失せてしまうだろう。

もしかしたら、もう、消え失せているのかもしれない・・・。
  • 知識だけで生きているような有識者・評論家・キャスター・コメンテーターの口から出まかせの「世界標準は・・・」といった浅はかな話を真に受けることなく
  • 実際は「男女同姓・別姓」というテーマとは無関係なのに、テレビの出演者らにそそのかされた大衆の意見に振り回されることなく
  • 世界標準などと比較を重視せず
  • 日本の文化や歴史を振り返り
  • そして賛成・反対の主張をしなければならない状態に置かれた当事者たちの話を良く聴いて
といった中できちんと判断してくれることを願う。

2009年9月26日土曜日

Twitterで見かける「w」の意味

Twitterで見かける「w」の意味、実は、ずっと気になていたけど、大して重要でもないので「vが2つでvv(ブイブイ)かな?」 ってことにして、そのままにしてきた。

でも、やっぱり、気になるので、ようやくGoogleで調べてみることにした。

出てきたのは、Yahoo!知恵袋の一ページ。

基本的には「笑う」と

いう意味なんです。わらい→warai→w
そこからいろいろと意味が派生しています。

1.相手とはなしていて、自分の書いた文章が笑えるものだと思えたら最後に「w」とつける。
相手の言ったことが面白ければ、その後のコメントの最後に「w」をつける。

以下省略

知恵袋で見かける「w」←これ何の意味があるんですか? - Yahoo!知恵袋 より



笑ってたんだ。

「誰か教えてぇ~」ってTwitterでつぶやいてみようかと思ったのだが、勇気がなくて、Google使って調べた私だった。

どんな些細なことでも、その気になったら直ぐ調べられるもんだということが発見だった。

今更だが、インターネットって・・・・、というよりは、Googleとかの検索エンジンって、とても便利だ。

2009年9月25日金曜日

Amebloやめてbloggerにしました・・・。

一度、試しにメジャーなAmebloを使ってみようと思い立って、Amebloをしばらく使っていたのだが、いろいろと用意されている機能は、おっさんになってしまった私にはわずらわしいだけだった。

「ぺた」とかよく分からない。
ランキングなんか表示されたら、気になって仕方ない。
読者って何?
アメンバーって何?
ブログネタ?
グルっぽ?
アメゴールド?
プレゼント?
何何何???
私はついていけなかった。
特にランキングが一番わずらわしかった。


で移転することにした。



移転作業をしようとして、Amebloに対して薄々感じていたことが、確信に変わった。


Blogの移転作業は、かなり面倒だった。
そんな面倒な作業をやりながらも、「やっぱりAmebloやめよう」と自分の決意が更に強固なものになった。


Amebloは、ユーザーに対して非常に不親切だ。
データのバックアップ機能が付いていない。

そんなところを補うために、Amebloからのデータ抽出ツールを提供しているサイトがある。Googleで検索したが、そのサイトが、私が見つけることができたツールを提供する唯一のサイト。
しかし、残念ながら、今回の移転に際して、そのツールを使用しようとしたが、使えなかった。

そのサイトを確認したところ、2日前のコメントが・・・
「アメブロ、仕様変更対応。 記事などの、タグが変わったようです。 」

もしかしたら、
  • Amebloはそのツールが機能しないよう防衛し、
  • ツール作成者はその防御に対処する
というイタチごっこが起きているのではないだろうか?
で、今回も、使えなくされてしまったのではないだろうか?
・・・ と想像する。

バックアップツールくらい、Ameblo側が作ろうと思えば直ぐに準備できるだろう。
それをあえて用意していない。
そんな風に、Amebloがユーザーに不親切な仕様にするのは、恐らく、「Amabloを使いだしたユーザーがAmebloをやめられなくするため」のような気がする。

自社(Ameblo)が表示したい広告を無理矢理たくさん表示させるが、ユーザーが表示したい広告は制限する。制限というよりは「表示したい広告を表示させない」と言いたいくらいだ。

そこに、私は、企業理念の無さと運営方針を感じ取った。

だとしたら、このバックアップツールの存在は、Amebloにとっては、企業機密を盗み出すハッカーのような脅威に感じられるだろう。

ツールの配布を放置しておくはずがないと想像する。



まぁ、そんなこんなの妄想が私の頭に広がってしまいました。

はぁ~、書いて、ちょっとスッとした!


最後に一言。
これは、おっさんの、ただの妄想ですので、ご注意ください・・・。

2009年9月24日木曜日

日本社会が抱える問題:憂さ晴らし

自分に直接関係がないことにも、首を突っ込んで何かを言わなければ気が済まない人が増えている。


・社会問題が憂さ晴らしに利用される。

・芸能人の不祥事が憂さ晴らしに利用される。

・政治家の問題行動が憂さ晴らしに利用される。

・テレビに映ったちょっとした気に入らないことが憂さ晴らしに利用される。

【八ツ場ダム】群馬・長野原町に抗議電話が殺到「推進おかしい」 - MSN産経ニュース:


八ツ場ダム建設地の視察を終え、住民代表が前原誠司国交相に要請文を提出した=23日午後、群馬県長野原町の山村開発センター(矢島康弘撮影)八ツ場ダム建設地の視察を終え、住民代表が前原誠司国交相に要請文を提出した=23日午後、群馬県長野原町の山村開発センター(矢島康弘撮影)

 前原誠司国土交通相の八ツ場ダム(群馬県長野原町)建設中止方針に対し、高山欣也町長や地元住民が強く反対していることをめぐり、同町役場に「推進なんておかしい」など抗議の電話が殺到していることが24日、分かった。

 同町は電話の本数について明らかにしていないが、職員は「いつも鳴りっぱなしの状態」と疲れ切った表情だ。

 17日未明に前原国交相がダム中止を明言してから連日、「ダムは中止すべきだ」などの電話があるという。中には「このまま進めた方がいい」という意見もあるが、中止に反対する職員の発言を紹介した新聞報道に関し「一職員がどうこう言うのはおかしい」と1時間以上抗議する人も。

 ある職員は「新政権に住民が逆行しているように見えるのか。いろいろな意見があるのはわかるが、地元対国ではなく、下流が水を必要としているのに」と困惑していた。

この記事では、ダムのことが取り上げられている。


しかし、彼らにとっては、ダムのことでなくても、癇に障ることなら何でも良いのだ。



ちなみに、もう一方では、八ツ場ダムには全く関係のない場所に住んでいる人が、「なぜ、ダムを中止するんだ!」抗議の電話を掛けているに違いない。



なぜ、関係の無いところに首を突っ込むのか?



それは、それだけ、彼らに日常生活で解消することのできない鬱憤がたまってるということなのだろうと想像する。


一刻も早く、国民が、無関係な人さえ責めずにはいられなくなるような鬱憤から解放され、希望を持てる社会に変わることを願う。

「人の感覚」と「司法の感覚」の相違

恐ろしいからあまり細かいことを考えるたくないので大雑把なところを。。。


星島被告の無期懲役確定へ=上告を断念-東京高検

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090924-00000094-jij-soci


この事件、ポイントは殺人と死体遺棄についての考え方。


殺人と死体遺棄を異なる人が行った場合、今回の判決理由を理解できないこともない感じもする。


でも、今回は、一人の人間が一連の行為を行った。


一人の人間がそれらの行為を行った場合、どこまでが、どちらの行為に属するのか?


そこに、普通の人と司法関係者の間に、見解の相違がある。


司法は、どこで絶命したのかで行為を区切り、それに至る行為を殺人、それ以降の行為を死体遺棄と考えたのだろうと想像する。


っていうか、それが、恐らく、今の刑法の考え方なのだろう。


しかし、人の情としては、一人の人間がそれらの行為を行った場合は、一連の行為が始まって終わるところまでが殺人だと感じるのです。

情報の加工は最小限が望ましい。(国民をアホにしないために)

今朝のテレビを見ていて、「加工しすぎた情報」を垂れ流すのはマズイと思った。



「今日の天気」といったコーナー。(7時台の、たぶんテレ朝の番組)


そのコーナーの中で、「傘が必要」・「傘が不要」という情報が都道府県別に示されていた。



私は、家を出るときに、「傘を持て行くか」「傘を持って行かないか」は、今でも、空を見上げることと、肌の感覚とで決めている。


それで、ちょっと決めかねた時は、天気図を見て判断する。


別に、過去に、天気図の勉強をしたわけでもないが、それで、問題なくこれまで生きてきた。




人は、次の各ステップを、自分自身がしっかり体験することが大切だと言われている。


感じる -> 考える -> 行動する


「このパターンを独自に繰り返してこそ、人が人であるという証になる」という考え方だ。





人に情報を投入する主な場所は、次の2つが挙げられる。

1.「感じる」ステップと「考える」ステップの間

2.「考える」ステップと「行動する」ステップの間


問題は、2のパターンだ。

このパターンの特徴は、人から、「感情・感覚」「思考」を取り上げてしまうところにある。


例として次のようなものが挙げられる。


[ロボット]

ロボットは考えることができないので、どのように動けば良いのかという情報を、別途考えて外部から与えてやる必要がある。情報を与えれば、ロボットは、その通りに行動する。


[強固な目的集団(例えば、軍隊)の構成員]

個別の思考を許すと、組織の目的達成が妨げになるため、情報が統制され、指示系統の死守が強要される。




これらの例では、結果を意図して情報をコントロールする。

だが、意図がなくても、この位置に情報を投入するだけで、人から感覚・感情や思考を奪い取り、人をロボットにしてしまう恐れがあるのだ。



今日の天気の例で言えば、『天気予報で傘を持てと言われれば傘を持ち、傘を持つなと言われれば傘を持たないロボット』だ。



現状を深く検証するのは面倒だからやめておくが、例えば、「食品の消費期限を経過していたら、食品を捨てるロボット」になっている人は既に多いと思う。


昔は、製造日を見て驚き、においを嗅ぎ少し毒見をして、いずれかの段階で「これはダメだ」と残念ながら確信してしまったときに、ようやく食べるのを諦めたものだ。


余談が長くなってしまった。



これは、自分の感覚・感情・思考に基づいた行動か?

そう問い直すことは重要かもしれない。




マス・メディアも、その辺のこと、細心の注意を払って情報を流してもらいたい。

行政も、何らかの対策をするときは、情報の加工のし過ぎ注意してもらいたい。(新型インフルエンザの件では、一般の人だけでなく医師さえも、何も考えられなくなっているように感じる。)


その他何らかの情報に関わる各位が、情報が人を動かしてしまうということを自覚すること、そして、利益だけではなく人の幸せも真剣に考えてくれることを、切に願う。



マスに情報を流せる位置にいる諸君、私たちから、感覚・感情・思考を奪うことは、もうやめなさい。





P.S

最後に思ったのだが、チェーン展開時のマニュアルによる統制は、結局は人のロボット化なのだろう。マニュアルの徹底は、人から幸せを奪い取ってはいないかと、心配だ・・・・。経済に視点を置いた報道ばかりで、その辺が、全く見えてこないが、苦しく追い詰められるFCのオーナーは多いと、風のうわさは流れてくる。

2009年9月18日金曜日

次は、「裸の王様」になってしまった報道の改革

多くの報道関係者は、「中立的な立場で、社会を監視するのが自分たちの使命」 的なことを主張している。


それを実現するためには、まず、自らの力によって、自分たちの中立性を確立し維持し続ける姿勢が必要だ。


これを自浄作用と呼ぶこともできるだろう。



しかし、今回の民主党による政権交代に関わることで明確になりつつあるが、権力を保持期間の長期化に伴い、自浄作用が薄れていくとともに、さまざまなものとの癒着を生みだしてきた


そして、権力と既得権益が絡まった生命体のようなものになり、その複雑なもつれあいによって、もう、正義に基づく判断と行動ができなくなってしまう。


これを正常化させるのが民主党の仕事です。



さて、前置きはここまでにして、ここからは報道のお話です。


報道は、言葉 と 映像 と 編集による事実の歪曲・創造(ねつ造) と マス伝達 による、一種の暴力的な権力を有しています。


彼らは、このことが分からなくなってしまっている。


そして、そのような「報道の自由」という偽りの正義を振りかざした報道という呼称を語る暴力集団を監視するのは、次の2つでしか実現できない。


・法律による制限

・報道組織同士の監視・けん制



視聴者がその役割を担いそうだが、マスコミの視聴者重視という虚言によって騙されて洗脳されてしまっているので、なかなか難しい。


第一、主張する手段がないのだから・・・・。(2ch掲示板の役割と存在意義は、そんな彼ら(というか、私たち)に、マス伝達の手段を与えること。しかし、テレビ放送に比べれば、その影響力と影響範囲は段違いに低いので、まだ、マスメディアとは対抗できるまでには至っていない。)



法律による制限は、最も、マスコミの癇に障るところだ。


マスコミは、報道の自由という権利を主張し、「マスコミの被害者であることに無自覚な一般市民」を、報道の自由論者に仕立て上げる愚行を繰り返すので、使えない。



そこで、可能性が残っているのは、マスコミ同士の監視・けん制だ。


報道をけん制できるのは報道しかない」ということです。




だが、評論家・コメンテーター・キャスターたちは、事件や問題の関係者・当事者批判に終始する。


他者、他局の報道の内容・姿勢を批判してみてはいかがかと思う。


でも、報道が横並びでなーなーなのだから、もう、どうしようもない。


同じようなニュースを同じように垂れ流す。


取材する人が違えば、取り扱われるニュースは全く異なっても良いはずだ。


なのに、どの放送局のニュースを見ても、大体、同じような内容だ。


不思議だ。


「微笑ましい話題」といわれるどうでも良いトピックスさえ似通っているのだから末期的だ。


それが、日本の報道の現状だ。


これは、リーク報道至上主義を続けてきた結末なのだろう。





そのような姿勢は、ねつ造体質を増大させ、報道・放送への信頼度を減少させ、視聴率を低下させる。


地上波デジタル放送化への負担も重くのしかかる。


デジタル機器の普及によって、テレビ放送の広告媒体としての有効性は、既に失われている。


このことに目を向けることは、今は、若干タブー気味になっているかもしれないが、デジタル化が完了してしばらくすれば、もう、直視せざるを得なくなるだろう。


その結果、スポンサーは離れ、経営難へ。


やがて、外資が投入され、ようやく、他者の報道や自社の報道の批判や反省情報も、放送されるようになる。


そして、報道は健全化するかもしれないし、よく知らないが、「現在の、海外メディアが抱えている問題」を、日本のメディアも抱えるようになる。



そんな流れだろうと想像する。


きっと、海外に比べたら10年以上は遅れているのではないか?





そんな流れにならないように、至急、改革に取り組んでくれたまえ。


自分自身の力で。


絶大な権力を持ってしまった裸の王様には、もう、誰も何も言ってくれない。



自ら気付き、自ら取り組むしか、もう、道は残されていないんだよ。

2009年9月17日木曜日

官僚・自民と癒着感覚の女性記者 藤井大臣から「喝!!」

昨夜行われた新大臣の記者会見で、各大臣に対して、同じような質問を繰り返していた女性記者がいた。



文言をきちんと覚えていないのだが


「官僚による記者会見廃止されると、国民に公表される情報が制限されることになるが、それについてどのように考えておられるか?」


だいたい、そういった意味合いのことだったと思う。



それまでの大臣と同じようにその質問をされた藤井大臣は、


これまた正確な文言は覚えていないのだが


「情報発信の主導権を官僚が握ることが問題で、それを政治主導に変えることを目的としている。取材をするなと言っているのではない。知りたいことがあれば、きちんと取材をすれば良い。」


一喝



藤井大臣の発言は、清々しかった


これまでの自民党の方々の会見では感じることができなかった感覚だ。





ちなみに、この女性記者の発言を分かりやすく解釈すると次のような感じではないかと想像している。


われわれ新聞記者は、官僚や自民党議員のリーク情報をもとに、記事を書いていました。



しかし、リーク情報の発信を禁止されると、記事を書くことができなくなります。



リークなしでは記事が書けないということです。



なぜ、民主党は、新聞記者に対して、そのような嫌がらせをするのですか?





これに対して、藤井氏が言ったことの意味合いは次のような感じだ。


あなたたち、記者なんでしょ。


じゃぁ、これまで通り、記者の仕事である取材をすれば良いだけじゃないですか。





この藤井氏の言葉に、目を覚ました記者は多かったはず!?


目を覚ましていなかったら、記者をやめた方が良い。


当然のこととして聞けた方は、これからも頑張って!



リーク記事にはもううんざりだ。



これをきっかけに、新聞やテレビの報道が、正常化していくことを切に願う。


2009年9月15日火曜日

マスコミの責任とは?

マスコミの責任とは、自らがリスクを負って情報を報道することではないと思う。





マスコミの責任は、


「誰かが、責任を果たそうとしたり、責任を取ろうとしたりすることを、しっかりサポートすること」


ってことに限定すれば良い。





「情報に対する責任感」を変に主張するからややこしくなる。


彼らがニュースと称している「いい加減な情報」の中に、


・噂

・流行り

・宣伝

・どうでもいいこと


などが混ぜ込まれ、


更に、思慮もなく修飾語を付け加えて


それらを、おもしろおかしく伝える。



そして、「報道された」という根拠の無い説得力に、国民は真に受ける。




「凄惨な事件が起こりました」


「次は、ほのぼのとした話題です」


「微笑ましい光景ですね」


・・・・


報道番組には、そんな言葉がいたるところにちりばめられている。




それをどう感じるかは、視聴者に委ねなさい。



基本です。




【まとめ】


■マスコミは、本当の責任はとれないのに、責任を取ろうとする振りをしないで下さい。


■マスコミは、事実だけを伝え、それをどう感じるかは視聴者に委ねて下さい。

ついでにマスコミ改革も!

のりピー報道を見ていて思う。


マスコミ諸君、無駄なところに、もの凄く力を入れているね。


マイクとカメラを、仮面ライダーの変身ベルトと勘違いして、


正義の味方を気取り、


そして、国民の代弁者を気取って


悪と呼べそうな人を見つければ、ハイエナのように群がり攻撃する。




虚しくないかい? 


恥ずかしくないのかい?



自分の子供に仕事を自慢できますか?


「仕事だから、仕方ない・・・」と言い訳してませんか?





マスコミの流す情報は、私たちが興味のある情報だと勘違いしてはいけない。


私たちの知りたいことは取り上げられない。


私たちが伝えたいことは取り上げられない。


私たちが知るべきことも取り上げられない。


ただ、マスコミが興味をもつ情報だけを取り上げ伝え続ける。




もっと、伝えるべき情報があるはずなのに・・・・。


今のマスコミは、社会悪と呼んで差支えないだろう。




官僚組織と同様に、マスコミにも自浄作用は、もう働かなくなっている。


ついでに改革してもらえれば?


でも、そうすると、君たちがどうするか、想像がつくけどね。


報道の自由と権利を主張し始める。


情けない。



君たちにジャーナリズムを主張する資格はもうない。

2009年9月13日日曜日

我が家のETC対応 ・・・ 結論出ました!

あんまり高速道路には乗らない我が家の車に、ETCの装置を付けるか?付けないか?


それが、現在の我が家では大問題。


民主党は高速無料化にするって言っているし・・・・。



散々迷っていましたが、とうとう結論が出ました!



【結論】


ETCの装置を付ける




【理由】

文章を組み立てるの面倒だから箇条書きにします。


[理由1]

・高速道路無料化するにあたって、渋滞防止や利便性の向上のために、インターチェンジの数を増やす必要がある。

・これは、短期間では実現できない。


よって、しばらくは、現在の状態が続くことが予測される。

高速には殆ど乗らない我が家でも、ETC機器設置のもとがとれるくらいの期間はかかるだろうと予測。




[理由2]

・高速道路全体の設計が、「高速に乗った車を、自然に都市圏高速に流すような設計」になっている。

・高速無料化で増大した車は、そのまま、都市圏高速に流れ込むことになる。

・都市圏の高速(首都高・阪神高速など)を有料継続とすると、料金所で料金徴収する必要がある。

・料金所は「致命的な渋滞」の原因となるので、何らかの対策を施す必要がある。



よって、都市圏の高速を無料化しない場合、全自動車に料金徴収を自動化する装置を設置する必要がある。

(既存の、ETCを利用することが、最も容易な方法)


※ ETC装置は、全ての自動車に設置するのが理想的。 譲っても、都市圏で車両登録されている自動車の全て。



==> だから、ETCは不要とならない(むしろ、必要となる。) [我が家の結論] 



ただ、ETCよりももっと高精度で効率的で経済的な設備にする、なんて可能性があるのが、ちょっとなぁ ・・・

2009年9月10日木曜日

マスコミは自分たちの論理の色を付けたがる

小沢チルドレン小沢チルドレン、と繰り返し聞かされていると、それを当たり前のこととして受け入れてしまいそうになる。


でも、鳩山代表の看板で選挙をして、当選した人たちなのだから、「鳩山チルドレン」で良いんじゃないか!?


っていうか、「チルドレン」ってどういうことなんだ?



政権交代の波の元で行われる選挙、実績の無い人が当選する比率が、大きく変わるのは当たり前のこと。


それを、今後も、いちいち「チルドレン」と呼び続けるつもりなのか?


ここにも、マスコミの知恵の無さが露呈しているような気がする。



みなさん、チルドレンという言葉を、真に受けてませんか?


右から左へ受け流しましょう。


マスコミが無自覚・無意識に行っている国民白痴化キャンペーンに乗せられてしまわないように・・・。

2009年9月2日水曜日

最後までブザマ ・・・ 自民党

自民党の首班指名のことででもめているらしい。


麻生さんで選挙をすることに決めて、麻生さんで選挙して選抜された議員たち。

選挙の結果、野党になることが決まったとはいえ、当選した議員たちの顔は、普通に考えれば、麻生さんのはず。

なのに、首班指名では、「誰の名前を書くのか?」ともめている。


■新しい総裁か?

■麻生さんか?

■自民党総裁代理か?



普通に考えたら麻生さんでしょ!



首班指名で、総理落選、そこまでが麻生さんの責任だと思う。


■首班指名で、総理落選、

■その後、麻生さんは責任をとって、自民党総裁を辞任

■自民党総裁選挙

■新しい総裁のもと出直し


この流れが一番分かりやすい


そんなスケジュールは、麻生さんも、自民党のみんなも、当たり前のように分かっているはずなのに・・・・。


「もし、選挙で負けたら、そこをどのように対処するかを考えないといけない」ということは、選挙前から分かっていたはずなのに・・・・。


なのに、麻生さんは、また勝手に、会見でスケジュールのことを意識せずに、「責任をとって辞任」ということだけを言ってしまった。


■麻生さんは、自民党の中で孤立してしまっていたのか?

■自民党は、そんなことすら考えられないような状態に陥ってしまっていたのか?

■その両方なのか?

■そんな普通のこと以外の何かに、彼らの興味は集中してしまっていたのか?


選挙で負けて、自民党が既に終わっていたことが、明瞭に露呈した


そういうことだろう。



麻生さんも、自民党も、最後まで、恰好悪かった。



自民党の再生は、しばらく、期待できそうもない。


中途半端に、何らかの力で、なぜ、一つの党にまとまっているのか?


自民党であることの利権は何か?


そのへんの問題もあるだろ。



そして、もう、理念の違うやつらは分裂して、別の党に分かれるしか、道は残されていないのだろう。


そうして初めて、彼らは、議員として再スタートできるのであろう。



自民党として再スタートではない。

議員としての再スタートだ。



自民党での再スタートを言っているうちは、たぶん、「過去の権利を主張するだけの偏った組織」という以上の意味を持たない集団に成り下がってしまうだろう。

2009年8月31日月曜日

民主党に期待していること

テレビで評論家達は、「マニュフェストの実現に注目」なんて言っている。


でも、民主党の第一の仕事は、そんなことよりも、


国民が、隠されている・陰で何かが行われている感じている感覚に対して、答えを出していくことだと思う。



「マニュフェストは約束だ」、「マニュフェストは守らなければ、国民に嘘をついたことになる」なんて言う輩もいるが、影に光を当てて良く眺め、そのあと、もう一回マニュフェストを作り直しても良いくらいだと考えている。



別に、民主党が何かをしなくても、


これまで、自民党や官僚が隠してきたこと隠そうとしてきたことを、世に知らしめるだけでも、自浄作用が働いて、最悪の現状から抜け出していくだろう。


秘密こそが、諸悪を生み出す悪の温床となっていたのだ。



これまで、自民党や官僚が隠してきたこと、隠そうとしてきたことを、世に知らしめるだけでも、事足りるような気がする。



国民は怒り、その力によって、最悪の現状から抜け出していくだろう。



その流れをつくることが、民主党に求められている仕事だろうと思う。


既出のマニュフェストは進めながらも、洗い出されていく闇の中で見直していくことも必要。



そこで、今のマニュフェストに最優先事項として明記してほしいこと


■ 行政の隠し事を世に知らしめる。

■ 政治の隠し事を世に知らしめる。

国民が「隠し事をされていない」と感じることができる行政・政治の仕組みを作る。



初めにそれをやっておかないと、自民が作った仕組みによって、民主党が責められる時がやってくるに違いない。責めるのは誰かというと、自民党であり、マスコミだ。

そうなれば、政治は、選挙前の意味不明状態に舞い戻ってしまう。そうなったら、もう、本当の革命が起きなければ、日本は救われなくなるだろう。



そうそう、マスコミ諸君、政治家が意味不明な受け答えをした時は、意識的に煙に巻かれようとする癖はやめた方が良い。


というか、マスコミは自民党が怖いから煙に巻かれていたのだろうという感じもある。


民主をなめているから、きっと、曖昧な答えには納得せずに突っ込んだりするのかな・・・・、なんて。


そんな変化があるとしたら、マスコミも現在の状況を作った一味の一員だ。



また、野党である自民党の人たちと、どのような受け答えをするかが見ものだ。

与党の民主には突っ込み、野党の自民には煙にまかれる。

もし、そんな状況であれば、そんな習慣がしみこむような、何かがそこにあったということなのだろう。



もし、変化が無く、煙にまかれ続けるなら、アホだ。


民主は煙に巻くようなことはしないと信じたい。

そして、マスコミは、煙に巻かれないと信じたい。



これからのキーワードは、CHANGEではなく、OPENだ。



もし、民主党が、闇を暴こうと必死にやってくれていることを感じたら、既出のマニュフェストがどうのこうのと騒ぎすぎないで欲しい。


今、何が一番大事なのか?


国民は、マスコミに踊らされることなく、これからのことを冷静に見極めていってもらいたい。

なぜ、あんな年寄りが選挙に出続けるのか?

あんな年寄りが引退せずに選挙に出るってことは、「政治家って、よっぽどの旨みがあるのだろうな」と想像してしまう。


その旨みって何なの?


個人的な権力欲ということで説明できることなのか?

2009年8月30日日曜日

ちなみに・・・(選挙のこと(追加))

ちなみに、私は、別に、民主党のファンではない


政治家で誰が好きかというと、石破さんだったりする。


でも、今回は政権交代を望んでいる。


なぜか?




日本は革命が起こっても不思議ではない基礎は出来上がっていると思っている。


そして、我々国民が、合法的に起こせる革命が、政権交代だ。




だから、民主党に期待しているというよりは、革命的意味合いに期待している。




民主党に政権能力があるのか?


そんなことはどうでも良い。


これまでの継続を断つことが、第一の望みだ。



民主党も、もし、選挙で勝ったとしても、民主党の政権能力が期待されているから勝てたとは思わないで欲しい。


これまでの延長線上で微妙に改善を続けるのであれば、民主党が政権党である意味は無い。



今回の選挙のあと、革命的な動きが起きないことに国民が気付いた時、暴力的な革命が起こってしまうかもしれない。(そういう意味では、今回、新たにできた政党の動きは不気味だ。)



或いは、この国は、暴動の国へと変わっていくだろうと思っている。


個人が個人の主張だけを押し付ける世の中になるだろう。


お互いを思いやれない国に。



選挙の結果、政権がどのようなものになるにせよ、真実を見抜く目を持って、この国の将来の安心、この国民の本当の幸せを、求め続けて欲しい。





最後にもう一度。


国民が求めているのは政権交代ではなく、平和と安心のもとで行われる革命なのだと思う。



さっ、これから、選挙に行ってきます。

選挙で民主党が勝った後に試されること

もし、選挙で民主党が勝ったら、


その後、マスコミや自民党が発するネガティブキャンペーンに対して、どう反応するかで、日本の国民がアホかどうかが試される。


まず、マスコミ(特に、評論家・コメンテーター・解説者、などと呼ばれる人)は、アホだから、直ぐに、民主党に対する批判を開始するだろう。


また、自民党は、自民党でくだらない民主党議員のスキャンダルをコツコツと暴こうとし、そして、上げ足をとるような批判を繰り返すだろう。


それを、また、マスコミは、ニュースとして取り上げる。




そんな状況の中、辛抱強く、暖かい気持ちと、大いなる期待を込めて、新政権を見守ることが、我々国民ができるかどうかだ。




官僚天国を容認してきた自民党が排除されることを望む。


そして、民主党が、真実を見極めようとする目を持っていることを祈る。




今回の選挙の目標は、政権交代って言っているけど、私は、自浄能力の無くなった官僚制度改革本当のはじまりを期待する。

2009年8月28日金曜日

また、新型インフルエンザのこと・・・・

どうも、新型インフルエンザの対応が、ピンとこない。



インフルエンザ検査の精度は本当に確かなのか?


いわゆる夏風邪も検査に引っ掛かってしまったりするんじゃないかと疑ってしまう。



また、腎機能障害があるとダメージが大きくなるとか言っているけど、こっちは、タミフルの副作用じゃないかと疑ってしまう。



そういえば、タミフルの導入の経緯は怪しかった。


ある時期から突然、何の脈略もなく、新型インフルエンザの発生危機が迫っていると騒ぎだし、


政府か厚労省が、それに対応するためのタミフルを備蓄しないといけないと言い始め、


気が付いたら、普通に流通させて流通備蓄のようなことにして、


医師のインフルエンザの対応も、以前の対応とはと一変させてしまった。




タミフルを飲んだ時に起こすことのある異常行動も、


タミフルではなくインフルエンザにかかったことによってとる行動だと言い始めた。


それ以前、少なくとも私は30年、「インフルエンザに掛ったことが原因で窓から飛び降りた」なんて話は聞いたことがない。


でも、医者やマスコミは内裏を合わせたようにそう言った。




パンデミックだと大騒ぎし、

弱毒せいだから騒ぐなと騒ぎ、

感染者が何万人突破したと、突然、騒ぎだし、

秋には、何十万人に拡大すると騒いでいる。

対策が功を奏したと言って喜び、対策しないといけないと不安を煽る。



人は、「感染拡大が、人の力でどうにかなる」と本気で考えているところが、浅はかだ



それぞれの人(個人個人)が、それぞれに対策をして、予防しようとするのは大切なことだと思う。


手洗い、うがい、マスク・・・・


その対策は、きっと有効なことだろうと思う。



でも、それはあくまでも個人の話。


世界での感染拡大を世界的にコントロールしようとするのは、正気の沙汰とは思えない。




逆に、毎年流行るA型やB型のインフルエンザは、なぜ、コントロールしようとしないのかも不思議に思えてきた。


コントロールできないことを知っているからか?


とりあえず、その時期が来れば、マスコミや医師などはワクチンを注射したり、手洗い、うがいは推奨する。


(ワクチンって効果があるのかも疑っているのだが、それは、まぁいい。)


そして、人々もそれに従う。


でも、そんなこととは無関係に、インフルエンザは毎年猛威をふるい、ピークを迎え、やがて収束していく。


それは、自然の流れだ。


これは、人の対策・国家の対策が功を奏する訳ではない。




なのに、この新型インフルエンザに限っては、例外的に対応しようとする。


なぜか?



これは、世界人類に「誤った全能感」が広まっていることを示す良い例でははないか・・・・。




最後に、国やマスコミの焦点の定まらない報道などは無視して、外出したら、手洗いうがいをすればいいんじゃないですかね。


それが、人類にできる限界なのですから・・・・。




ちなみに、私は、医者ではなく、ただのおっさんです。

2009年8月22日土曜日

デフレ

経済のこと、深く勉強したわけではないけど、デフレの主な原因は次のようなことだろうと考えている。


  • 物流が必要以上に発達すること
  • 株式市場・金融市場に必要以上にお金が流入すること
  • 株主が企業経営に余計な口出しをすることが当たり前になること
  • 経済のグローバル化に巻き込まれること
  • 庶民の給与が削減されたり、仕事を取り上げられたりすること

これらが反対の方向に向くような対策をすれば、効率化という呪縛から解放され、生じた無駄が仕事を生み出し、お金の潤沢な流れを作り出し、人の暮らしや社会を安定に向かわせることだと思う。



だから、『成長率』をキーワードとする対策では、社会を良くすることは出来ないんだよ。




経済学者の諸君、まじめに、やってますか?

他人の論理の追検証みたいなことをやっている場合じゃないと思いますよ。

今の時代においては、新しい論理が求められているのですよ。


経済学、哲学、社会学、経営学・・・などという縦割りの組織では、それを考えるのは難しいかもしれませんが・・・・。

2009年8月21日金曜日

『環境保全』という環境破壊

当たり前のことですが、自然は絶えず変化し続けています


何一つ同じ状態を保ったものは無いと言えます。


それが自然の摂理です。


このことが分かっているようで分かっていない。




昨日、朝のテレビでワイドショーを見ていると、どこかの砂浜のことが話題にされていました。


ある砂浜が海流に浸食されて、このままでは無くなってしまうと。


それを防ぐために、海底に砂や土を投入したりして、自然の力を利用して、砂浜を復活させようとしていると。



このような話を聞くと、自然を守ろうとしているように錯覚してしまうのですが、これも立派な環境破壊であることに気づかなければなりません。



人の価値観もとづいて自然の摂理に逆らおうと行われる行為の全ては環境破壊・自然破壊なのです。


このことを理解したうえで、人間社会に必要な部分を、遠慮しつつ、例えば、護岸工事などをさせてもらっているという感覚を持つことが大切だと考えます。


間違っても、環境保護・自然保護などと思わないように!

放送番組責任者法

放送番組責任者法を作ったらどうかと思うのです。
  • 評論家やコメンテーターにコメントや評論・批判を話させ、評論家やコメンテーターが勝手に話したってことにする
  • 一般市民のインタビューの中から番組に都合の良いコメントをピックアップし、一般市民が勝手に言っているということにする
  • 映像の中から番組に都合の良い部分をピックアップして、映像なんだから事実だと主張する

そして、それを放送した責任を殆ど取ろうとしない。


全ての責任を他人に押し付けることで、現在の放送は成り立っている。



その挙句に、この記事のようなことを主張している番組関係者もいることに驚いた。




J-CASTニュース : 殺人容疑者のトンデモ顔写真使用 フジテレビの「お笑い」?報道感覚


フジテレビはなぜこの写真を使ったのか、他に適当な写真は無かったのかを問い合わせてみたところ、同局広報部は、

「写真使用については編集権に関わることですのでコメントはできません

とのことだった。



で思うのだが、番組関係者は、番組の終わりのテロップ?に名前を一応表示したりしているが、感覚的には、匿名という傘に隠れて、好き勝手なことをやっているようなことになってしまっていると感じる。


なのに、報道の自由を盾にするからタチが悪い。


編集責任があるのだかあら、コメントしろ!


いい加減な言葉を使った言い逃れが蔓延してしまったのは、小泉さんの影響なのだろうか・・・・。


まあいい。




そこで、彼らに責任感を伴った活動をさせるために、まず、呼称を変更すると良いと思う。



私には、誰がどんな役割を果たしているのか良く分からないのだが、たぶん、放送業界では一般的には、ディレクター、プロデューサーなどと、呼ばれていると思う。


それらを、意味の分かる日本語で表現するようにすると良い。


そして、責任の区分を明確にするために、記事やテーマごとに、例えば、次のような担当責任者を、テロップと口頭によって告知する。


記事・テーマ総責任者 : ●●●●

原稿作成責任者 :●●●●

映像編集責任者 :●●●●

画像選別責任者 :●●●●


また、特にキャスターと思っている人が自分の考えを話す時は、自分が責任を持って発言することを宣言してから話し始め、主張が終わったら自分の責任発言が終了したことを宣言する。 現在のキャスターの発言は無責任すぎる。



そして、番組の最初と終りに、その番組の放送行為に関わる総合責任者を、例えば、


番組作成総責任者 : ●●●●

番組放送許可責任者 :●●●● 

放送責任者: ●●放送社長 ××××


といったことをテロップと口頭によって告知する。



問題を指摘されれば、これらの責任者が記者会見を行う。


(そこでは、記者のいい加減な指摘に振り回されず、自分の主張をしっかりと主張し、記者の指摘ではなく「正義」と照らし合わせて、過ちであると判断した場合は、しっかりと謝罪する。)



こんな仕組みにすれば、日本の国民全体をアホ化するような放送も、ちっとはマシになるのではないかと思う。


世の中に、放送業界が作り出す、奇妙な世論を広めてしまうことも少なくなるだろう。



いかがですか、そんな放送番組責任者法は?



そうそう、あと、放送の基準を、視聴率だけでなく、使命感や正義と照らし合わせるように変更しないといけない。


ドキュメンタリー、報道番組、ワイドショー、情報番組関係者の方々、そういうことで、よろしくお願いしますよ。




【ついでに】

ただ、放送の収益モデルは、CMスキップ機能とともに崩壊し始め、それに広告主企業が気付き崩壊が加速した。


更に、インターネットからの情報は、放送関係者の曇ったフィルタがかかっていないので、生や本音に近い情報に引き寄せられ、壊滅に向かっている。


もちろん、インターネットは誤った情報も多いが、誤った無責任な情報を流しているという意味では、テレビ放送とドッコイドッコイだが、総合すると、インターネットの方が良い。


テレビ関係の方々、頑張らないと、地上波デジタル化に関する設備投資は、設備だけ残して終わる、日本最悪の箱もの行政にしてしまうかもしれませんよ。


そして、ケーブルテレビだけが残るのだろうと思うのですが・・・・。

2009年8月19日水曜日

日本の放送業界の日本語をダメにした男

昔、プロレスだったかの実況の中で、実況解説と称して、脈略の無い言葉ただ羅列して、ひたすらに叫んでいた男がいた。


大袈裟な表情大声で。



「おぉっと! ・・・・・・・」



「おぉっと! ・・・・・・・」



「おぉっと! ・・・・・・・」



それが世間で妙にもてはやされたものだから・・・


それを境に、次第に実況中継が、「取材した情報を的確なタイミングで紹介する」「状況を的確に把握し言語化する」というよりは「ヘンテコな言葉を使って笑いをとる」的な方向へと動き出したような気がする。




最近の報道ワイドショーのキャスターと呼ばれる人たちも、思慮のなく言葉を使い過ぎだ。


殆ど、全ての番組で、同じようなひどい状況になっている。


今は、具体的には思い出せないが、報道番組を見ていたら、突っ込みどころ満載で、イライラして見ていられなくなる。


一度、「こいつは、きちんと理解して話しているのか?」という視点で見てみると、きっと、そのひどさに気づくはずだ。




昔は、「アナウンサーが日本語を守ってくれる」と信じていた。


しかし、今、「アナウンサーとキャスターが日本語を破壊させる」と感じている。



そんな、流れの最初を作ったのが、「おぉっと!・・・・・・・」の人だと思っている。



選挙に向けて党首のインタビューなんか偉そうにする前に、これまで自分がしてきたことを総括して、その罪を国民に詫びてもらいたい気がする。

新型インフルエンザ

新型インフルエンザのこと、


また、流行拡大の兆候が表れていると大騒ぎし出した。


しかし、普通に考えたら、これまで「感染拡大が収まってきていた」というよりは、「マスコミや政府が騒がなくなっていただけ」というのは一目瞭然。


騒いだり、騒がなくなったり、また、騒いだり・・・


論理的思考の欠落した我が国の状況にはがっかりする。



もうひとつ疑問が。


毎年冬に流行るインフルエンザ死亡率 と 新型インフルエンザ死亡率


比較して報道されたのを見たことがないが、仮に、毎年の冬に流行るインフルエンザの方が高いような状況があるとしたら、政府マスコミさるだ。



あっ、私の仲間か!?



医師会は何をしているの?

同じくさる?!



■誰も責任を持って発言しない結果

この国のこれまでのあり方によって、誰も責任を持って発言ができない状況を作り出してしまった結果


こんな状況を作り出したのだろう。




何かが起こる都度、


自分が正しいと思う主張よりも、自分の責任問題を問われる可能性が最も低くなる論理自分の主張のように口走る


そして、それが自分の本当の主張ではないという自覚がない。



そして、何でも本質を見抜くことなく、最悪のストーリーをたどる。


それが今の社会の状況だと思うのです。

2009年8月16日日曜日

テレビを見ないと・・・Good

テレビを見ないと、心穏やかでいられる。


テレビを見ていると、偏った考えに洗脳されそうな気持ちになるのか、矛盾する論理に反応して、あれこれ考えてしまう。



「もしかしたら、日本からテレビを無くせば、日本人の心は穏やかになっていくのかもしれない・・・」なんて思います。





みんなは、テレビ見ててイライラしないの?

2009年8月12日水曜日

タイトルは重要(党首討論のネット報道)

党首討論のネットでの報道。


タイトルだけでも結構誤解を招くことがあるので、注意すべきだと思うのだが…




朝日はアウトのようだ。


自民党寄りのように感じてしまう。

FriendFeedのテスト

FriendFeed (http://friendfeed.com/ )というものを教えてもらったので、ちょっと、BlogのTwitterへの連動テストです。

結局、経済を破綻させるものは・・・

※以下、お猿の妄想につき注意



結局、経済はを破綻させるものは、経済学かもしれないと思う。


前年比・前月比・成長率・・・・


特に、このあたりの指標による評価がによって。



豆腐屋が


昨日、おいしい豆腐をつくり


今日、おいしい豆腐をつくり


明日、おいしい豆腐をつくり


それで良いじゃないか。



それを崩壊させたものは、経済学であり、


過度に権利を主張する株主の登場ではないのか。



配当をありがたがる切手コレクターのままでいれば良いものを。



効率を求めれば、大企業の効率化が勝利し、中小企業は太刀打ちできない。


利益は、株主と銀行に吸い上げられる。


世間に流通する資金は少なくなり、高価なものは買えなくなり、デフレが進む。


銀行と株主(特に、投資家と呼ばれる人たち)にばかり、お金が流れ込む仕組みにしてしまった。


効率化という大義名分の下、母国の国民の仕事は奪われ、外国労働者が迎え入れられる。


更に、グローバル化の流れも加速する。


低収入、過剰労働の流れも加速する。



一体誰のための経済なのか?



経済は、経済を利用する一部の人たちのためのもの。


特に、人間らしい理念の無い経営者のもとではその傾向は強まる。


労働者は、本当に弱いのか?


強いはずなのに、弱いと思い込まされている。


恐らく、グローバル化が世界を覆い尽くし、グローバル化という逃げ道が閉ざされてしまったとき、


経営者は、労働者への感謝を思い出すことになるのだろう。


その前に、この地上は荒廃し、人は、もう、住まなくなっているのかもしれないが・・・・。




以上、経済学など勉強したことの無いお猿の妄想でした。

2009年8月10日月曜日

政治・選挙について思うこと・・・

自民党は、総裁選をやらずに、総選挙に突入することになった。


そこで、自民党が勝利したとしたら、その後にその麻生さんが作る内閣が『国民に信任された内閣』ということになる。


しかし、自民党どっぷりの人はともかく、選択に自由度のある有権者が、あの麻生さんを、信任する人は多いとは思えない。


なのに、なぜ、自民党は、選挙前に総裁選をやらなかったのか分からない。


結局、誰を総裁にしても、自民党は勝てないと思っていて、その責任を麻生さんに取らせようとしているということなのか・・・。


結果論だが、自民党が勝つチャンスがあったとしたら、昨年の総裁選直後の解散・総選挙だったのではないかと思う。


しかし、もし、その流れになっていたら、麻生総理の率いる内閣は『信任された内閣』ということになり、その後4年間も存続してしまう恐れがあった。


そう思えば、現状の流れが、麻生内閣を最短で終結させる流れであったのかもしれない。




まぁ、政権与党が、民主党になるにせよ、自民党になるにせよ、総裁には、もっと見識深いリーダーシップを発揮できる人を選んで欲しいと思う。


ということでは、自民党は、やっぱり、解散前に総裁選を行い、前回の総裁選のように世論の人気(というよりは、マスコミの情報操作?自民党によるマスコミ操作??)に左右されるような過ちを犯すことなく、真剣に総裁にふさわしい人物を選んでおくべきだったと思う。


今回の総選挙で民主大勝利の後、民主党のスキャンダルによって、早々に解散し、政権を取り戻すシナリオでもあるからなのだろうか?


と色々書いたが、どの政党が与党や野党などという、どちらでも良いことへのこだわりから離れ、この国を良くするために、真剣に議論し、行動してもらいたいものだ。



この国の国民は、おかしな政治のやり方に洗脳されて疑問を持っていないが、どの党が政権党になるかなどということには関係なく解決すべき問題は変わりなく存在し、与野党ともに、その問題に一致団結して取り組めるはずなのである。




この国の政治家は、一体、何をやっておるのか!


マスコミも、政局の報道ばかりせずに、本質的問題をあぶり出し、しっかり報道してもらいたい!

2009年8月9日日曜日

再チャレンジ政策を思い出した・・・

次の記事のタイトルを見て、安倍晋三さんが首相をしている頃、再チャレンジ政策を掲げていたことを思い出した。


酒井容疑者 サンミュージック解雇へ…創業41年で初の汚点



政策の実施についてきちんとフォローしていないので、その結果をきちんと認識していないが、再チャレンジという雰囲気を社会に浸透させるには至らなかったのではないかと推測している。



なぜか?



解雇された人に再チャレンジのチャンスを与えることが出来る中核になる人は誰かということの認識が足りなかったと思う。


「解雇した人を、誰か雇用してあげて下さい!」


これは、自分の責任を棚に上げて、他の誰かに責任をとってくれと言っているようなもの。


責任転嫁 と タライまわし体質 を強化することになっても、それを解消する動きを起こすはずがない。


つまり、「解雇した人や辞職の申し出を受け入れた人が、その人を再び採用する」ということが当たり前のこととしなければ、再チャレンジ政策など実現するはずがない。


現在は、一般的に、大企業では、「一旦退職すれば、再雇用しない」という制度が、当たり前のこととして受け入れられているし、雇用時に雇用契約の一部として受け入れさせられているところは多いと思う。


そこを改革することが、再チャレンジを実現するためには、最優先されるべきことである。


それなしに「再チャレンジ」を叫ぶのは、絵にも書けない餅と同じである。




さて、のりぴーのこと

ある意味「再チャレンジ」が有効に機能している芸能界において、今回のサンミュージックの対応は、芸能人の再チャレンジの道を閉ざす流れにつながるのか? それとも、一時的なポーズで、これまでの前例のように、やがて救済されるのか?


罪は罪、ちゃんと、償ってもらいたい。


そして、再チャレンジのチャンスが与えられることを願う。


とかく責めるだけで終わりがちな現代社会においては、のりぴーが罪を償って再チャレンジによって復活することを願い協力しようとすることは、これまでのただ責めたてるだけの社会が変わるチャンスとなるかもしれない。


みんなが、そんな雰囲気を作っていこうと真剣に向き合えば、この不況の社会人を大切にしない社会の中に、人を救うという雰囲気が広がり始めるきっかけになるのではないかと思う。




みんな、優しくなろうよ・・・。

2009年8月7日金曜日

裁判員制度に関する洗脳報道が始まった。

裁判員制度、メディアを利用した国民の洗脳が始まったって感じがする。


政府や官僚とメディアが協力して『裁判員裁判制度定着キャンペーン』を繰り広げている感じだ。


メディアは、その是非に関する論点は排除したコメントばかりを拾い上げ、裁判員裁判を既成事実としてしようとし、国民が受け入れたことを前提とした報道ばかりになっていると感じる。



更に、裁判が終わってテレビに顔出ししたり、記者会見を開いたり・・・。


インタビューに答えたり・・・・。



今回の裁判員は、国家が仕立てたサクラ(ヤラセ)ではないかとさえ感じてしまう。


「ついでに、裁判員が欠席し補欠裁判員が繰り上がる運用のテストもやってみよう」と言ってテストをやったんじゃないかとも疑ってしまう




逆に、もし、今回の裁判員がサクラの裁判員でなかったとしたら・・・・。


こんな運用で裁判員の安全は保障されるの?


犯人に協力者がいた場合、刑期を終えた後、お礼参りも、やろうと思えばできそうな・・・。


守秘義務を守れる環境を作ってあげられているの?



「あなた、テレビ見たわよ!」


「裁判、どうだった?」


「被害者の写真って、どんな感じだったの?」



興味津津の友人・知人によって、ポロポロと守秘事項が聴きだされて漏れ出してしまう。



今回は、第一回目ということで、多くのマスコミも寄ってくるのではないかと想像される。



守秘義務を本気で課すつもりはあるのか?


訓練された人でない限り、色々聞かれればポロポロと話してしまうのは普通のことだ。




守秘義務とは別に、マスコミから守ることも、裁判員の安全の保証の一つに挙げても良いと思う。


これまでの普通の生活が脅かされる可能性があるからだ。


裁判員のこれまでの平穏な生活を維持することを保証するつもりはあるのか?





一体、どうなっているんだ?


マスコミも・・・、政府も・・・



裁判員裁判制度の始まりはグズグズだ。


それが私の評価です。

2009年8月4日火曜日

ナレーションに騙されるな!

NHKクローズアップ現代で、仏像盗難について説明している。




その中で、仏像盗難のことを次のように説明していた。


今、空前の仏像ブーム。

そんなブームに水を差す事態が起こっている。



ちがうちがう!

あぶないあぶない、うっかり、聞き流してしまうところだった。



仏像ブームが引き起こしたこと。



だ。



これに限らず、さまざな番組の、さまざまのナレーション、さまざまの解説に、騙されるな!


そんな些細な騙しの積み重ねによって、日本人は、すっかり、アホにされつつあるのです。


せめて、NHKくらいは、慎重に文章を組み立ててもらいたいものです。



みなさん、気をつけましょう!

推定無罪の原則を破綻させる報道関係

裁判において、推定無罪の原則があるということは色々な場面で耳にする。


その原則があるとしたなら、報道関係は、逮捕された被告の本名を報道してはならないことになる。


なぜなら、無罪の可能性があるからだ。


しかし、逮捕指名手配時点で、実名は報道されることになる。


逮捕が困難な状況の時は、情報を集めるためにやむを得ないという面もあるのかもしれない。


だが、犯人と推定される人が逮捕されてしまえば、やはり、推定無罪が適応されるはずだ。





そのような状況がある中で、裁判員裁判において、犯人にネクタイを着用させたり、法廷に入る前に手錠を外すなどという小手先の対処に何か意味があるのだろうか?!



司法は、この報道が崩す推定無罪の原則について、きちんと制限を加えるべきだと思う。



思考能力の欠如した報道関係者(=報道関係者の大部分)は、報道の自由言論の自由という斧を何の恥ずかしさも感じることなく振り回して暴れるのであろうが・・・。

2009年8月2日日曜日

ブレブレと書く記者はアホアホ?

首相の比じゃない…呆れた鳩山氏のブレブレ発言  (産経新聞) - Yahoo!ニュース


私にはこの記事の意味が理解できない。


どこに問題意識を持っているのだろう?


自己の理解できないことによって生じる問題意識を正当化しようとしているだけのように思える。

【政治部デスクの斜め書き】というように言い訳がましく斜めなんて使わずに

【政治部デスクの正論】とでも題して、正面から正々堂々と書いてもらいたいものだ。

2009年7月28日火曜日

ワーキング・プア

昨晩、NHKの番組だったと思うのだが、公務員の非正規雇用によるワーキング・プアの問題が取り上げられていた。



失業した人に職業をあっせんするハローワークの職員の半分以上(たぶん)が非正規雇用で、自分たちもいつ失業者になるか分からない状況で仕事をしているということだった。


涙が出そうになる。


どうして暴動が起きないのかが不思議なくらいだ。


この国はいったいどうなっているんだ!?


この国には自浄機能などどこにもないのか?


官僚たちは、制度適用後、改善したことや悪くなったことなどをウォッチしないのか?


確信犯なのか?


官僚に、心の幸せというものを、再教育することから始めないといけないのかもしれない・・・・。


でも、教育する人がいない。


・・・・




悲しい気持ちにさせられる番組だった。


この日本という国家組織を、心から情けないと思った。

この世の人が、人としての幸福を忘れませんように・・・。

弁当4000円、セックス1回5000円

夫婦間BtoB取引で円満 | AERA-net.jp:


これにより夫婦間のコミュニケーションが良くなったというところがあれば、夫婦円満を手に入れるための有効な手段の一つとして活用できる。


しかし、夫婦円満とは無関係に、このようなことをやっていると、

  • 客観的に評価することのできない幸福が、手の内にないことに対する焦燥感に駆りたてられて
  • しかし、それを見つけ出すのがあまりにも困難でなかなか見つけられないので
  • 『客観的に評価することのできる何か』がそれに違いない・・・というところで妥協して
  • それが真実に違いない、それが自分の求める幸せだと、自分自身を信じ込ませ
  • 価値などの代替物によって、満たされない心を満たそうとする

というように、本来の望みを捨て、代替のものばかりを追い求めることになってしまう。


そうやって、いくらもがいても、いつまで経っても、心は決して満たされない。


そんな事態に陥らないことを祈りたい。



チョコレートを食べたければ、チョコレートを食べなければ、チョコレートを食べたことにはならない。

いくら、高級なキャンディーをあさっても、チョコレートを食べたことにはならない。


世の人々が、世に満ち溢れてしまっている誤った価値観から引き戻されて、自分の本当の幸せの方向に気がつきますように・・・(祈)

2009年7月26日日曜日

環境破壊と人間のおごり

3日程前、テレ朝のモーニングショーでレジェンド・ハンターというコーナーがあった。


昔栄えていたが、現在は廃墟となっているところを訪問することがテーマ。


今回は、昔、金の鉱脈によって栄えた北海道の町の跡を訪れていた。


その町は、すっかり森の木々の中に取り込まれていた。


建物の中にも大きな木が生えて、抜け落ちた天井から天高くそびえ立っていた。




現代社会において、環境破壊が問題になっている。


また、化石燃料の燃焼に伴って発生する二酸化炭素が、地球温暖化の原因として、その削減対策に取り組もうとしている。




しかし、それらは、人間の浅はかな考えだ。


人が何かをすると、それは、環境を破壊する。


農業ですらそうだ。


例え、山村で自給自足の生活をしたとしても、それが人の行いである限り、自然の営みに反して、自然を破壊するのだ。




しかし、人間が何もしなければ、レジェンドハンターで紹介された昔栄えた町のように、森にとりこまれるのだろう。


それが、東京の都心だとしても。




今、人間達は生きている。


それも、地球に課せられた試練なのだろう。


だから、人間の存在を否定することはしない。


しかし、自然を回復させるために、人に出来ることがあると思うのは間違いだ。


人が意思をもってすることは、全てが自然の破壊につながる。


本来、人は、誤った万能感の支配を捨て、そのような存在であるという自覚のもと、つつましやかに生きていかなえればならない。



意識は、自然の方向に向いていなければならないということだ。



しかし、人は、経済という虚構の方向を見つめている。


根拠のない万能感を伴って・・・。




地球温暖化は自分たちの活動のせいだという考えも、もしかしたら、人間の思い上がりかもしれない。


地球何十億年の歴史の中で繰り返されてきた大きな流れの中で、人間の想像も及ばない大きな力によって起こっていることなのかもしれないのだ。



そんな状況の中で、無知の科学が原因を特定したと錯覚し、その錯覚も、自然回帰ではなく、二酸化炭素排出権売買ビジネスへと結びついていく。


現代社会の人々、特に、自らが先進国と称している国の人々は、革命でも起こったり、滅亡でもしない限り、そんな思い上がりからは、解放されることはないだろう。



せめて、自然な価値観の中で暮らす人々を、グローバル化と称して自分たちの価値観にとりこみ続けることを止めてくれれば良いのだけれども、それも無理だろう。


人類は、行きつくところまで行くしか道は残されていないのか。



人が行きつくところまで行きついた後でも、きっと、自然は廃墟を森に戻してくれるだろう。

石灰化した地上を肥沃な大地に戻してくれるだろう。



現代の人を、天から大きな視点で眺めてみれば、ただ地球を破壊するだけの存在になり果ててしまっていることに気づくだろう。


自然を復活させることが出来るのは、人の力ではなく、自然の力だけなのだ。


まず、それを自覚しなければ、人類の存在は、日に日に危うくなっていくのだろう・・・。

運転免許書IC化の目的を想像した

運転免許書をIC化する意味を、更新手続きのとき


■偽造防止

■本籍情報を隠す(個人情報の保護)


と説明された。


しかし、非接触のICカードにする理由には不足しているように思える。


まぁ、警察官が携帯する端末やICカードの利権なんて話もあるかもしれない。



だが、タスポの記事(前回の投稿)を見て、もっと恐ろしい目的を想像してしまった


それは、個人追跡システムのようなものを、構築しようとしているのではないかということ。


自動車では、Nシステムと呼ばれている追跡システムが導入されているらしいが、それを自動車レベルではなく、個人レベルで行おうとしているのではないかということ。



店舗の出入り口に設置されているような万引き防止用の検知器のようなものを設置しオンラインでつなげば、免許書を携帯している個人は、その所在をある程度リアルタイムで把握することが出来るようになる。


表立っては出来ないが、将来的には、法律を作ってしまえば、店舗の万引き防止システムも、オンラインでつなげることもできるだろう。


また、そのような環境を整えれば、違う名目で何らかのICカードを携帯させれば、追跡可能な個人の対象範囲は広がる。


健康保険や住民登録カードなどが非接触のICカード化したら、その気になればとりこむことが出来るかもしれない。


ただ、これらは携帯する必要性の低いものなので、もっと、旨い口実を作って、非接触のICカードを国民全員が持たされるような手を打ってくるかもしれない。



SF映画のような世界だ。



プライバシーもヘッタクレもない時代がやってくるのかもしれない。









(注) これは、何の調査にも基づかない、モン吉のただの妄想です。

タスポ 終わった・・・・

私はタバコを吸う。 でも、タスポは、なんだか気持ち悪くて作っていなかった。 その気持ち悪いと感じた感覚が正しかったことを証明する実態が報道された。
日本たばこ協会は、共同通信の取材に事実関係を認め、「法に基づく要請には必要に応じて渡さざるを得ない。情報提供については会員規約で同意を得ていると認識している」と説明している。

関係者の話などによると、協会は求められた個人の生年月日や住所、電話番号、カード発行日などのほか、たばこ購入の日時や利用した自販機の所在地を一覧表にして提供。免許証など顔写真付き身分証明書の写しが添付された申込書のコピーを渡した事例もあった。

タスポ情報、検察に提供 日本たばこ協会 - 47NEWS(よんななニュース):

全国民ナンバー管理(総背番号制)も、あっという間に導入されてしまうのかも・・・と不安になる。 恐ろしい世の中になってきた。

2009年7月23日木曜日

熱中症

あいつら、とうとう、風呂に入ったときに陥る のぼせる と呼んでいたことまで、熱中症に仲間入り させやがった!


まったく、流行にだけ敏感な間抜け野郎たちだぜ・・・。


これこそ、本当の ゲーム脳 だ。


高度ぼやき症候群 の 私が言うんだから間違いない!



[今日の夕方のどこかの放送局の報道ワイドショーの特集を見て・・・]

男女平等

どこかで男女平等に関して強く主張しているのを見かけたのでちょっと書きたくなった。



男女平等は、それを主張したい状況に直面した人が、個人的に主張すれば良い。


そして、誰かが男女平等を主張したときに、「その主張を受けた人が、その主張を大切にするような雰囲気」が、社会に広まれば良い。



社会が、特定のことに対して男女平等を主張しすぎると、世の中がおかしくなってしまう。


男女平等が人の幸せを作るわけではない。


男女平等は、特定の人にとっての幸せを得るための、一つの手段にすぎない。


正確に書くと、特定の人が、特定の状況で、自分を取り巻く不都合を取り除くための手段だ。


しかも、それは、ただの仮説に基づいたものであることも忘れてはならない。


社会で名誉を得ることになっても、それが、本当に求めていた幸せかどうかは分からないのだから。


男女平等にこだわる前に、自分にとっての幸せにこだわった方が良い。





あなたにとっての本当の幸せって何ですか?


本当にそれで良いんですか?

2009年7月20日月曜日

批判できることに批判する人が群がる社会

「女湯に男児を入れる母親は不愉快」で議論白熱


なぜ、こうも 批判できること に 批判する人たち が 群がる のか?



ほっとけない!


ってか??

2009年7月19日日曜日

報道番組・ワイドショーを見ないでおこう

結局、どうして、こんなに色々なことにイライラしているのだろうとと考えてみた。


テレビでワイドショーや報道番組を見るたびにイライラしていたことに気がついた。


キャスターや解説者・評論家は、ろくに取材もせずに、事実に基づかない空想の世界の中で、好き勝手なことを主張して、特に問題もないところにも、波風を立てようとしている。


しかも、そのあとは、丸く収めることもせずに、自己の主張の責任を放り出してしまう。


そんな自分が興味の無いことを、中途半端な批判とともに提示されて、その辻褄合わせを、いちいち考えさせられていたことに気がついた。



テレビの報道は、結局、テレビ局のフィルターが掛けられている。


通りを歩く人たちのインタビューを見せられると、一般の人の意見が取り入れられているように錯覚してしまうが、それすら、テレビ局がピックアップした情報に過ぎない。


本当の声、価値ある声は、テレビ局のフィルターによって濾しとられ、こちら側にやってくることはない。


そんな情報にさらされていると、私たちは、本当のことが分からなくなってしまう。


何が本当で、何が嘘か?

価値のあるものは何で、価値の無いものは何なのか?


現代社会の悶々として鬱々とした雰囲気は、報道関係者が作り出したと言っても過言ではないような気がする。

2009年7月13日月曜日

政局なんて報道するなよ

政局なんて、一般市民にはどうでもいいことだということを理解していますか?

特に、衆院解散の時期が、都議選直後だとか、いつだとか・・・

そんな細かいことは、どうでも良いこと。


我々は、どの党に政治を任せたいのかについて、単純な意見を持てばそれで良いのである。

それを判断するためには、

  • 実行した政策は何か
  • 何に問題意識を持っているのか
  • どのような政策を提案しようとしているのか
  • 提案した政策は何か

だけを報道してくれたら良い。

それに対して、我々は、現政権を継続して欲しいか、継続を拒否するかの意思表示をするだけで良いのである。

なのに、マスコミは、真顔で政局なんか報道するから、一般市民までもが、それを真に受けて、どうでも良い解散の時期がいつが良いかという市民にとってはどうでもいいことに意見を持ってしまい、まるで自分が政治家になったかのように、市民として持っても意味の無い意見を持ち、主張するようになるのだ。

我々が主張すべきは、

  • 政権を続けてもらいたいか
  • 政権を継続してもらいたくないのか

それだけを端的に主張するだけで良いのである。

マスコミ諸君、もうそろそろいい加減にしてくれないかね、

民意を混乱に陥れるのは・・・。

2009年7月9日木曜日

日本人 総白痴化 大作戦 [ 消費期限 ]

昔、食品に、賞味期限という考え方が導入される前は、製造年月日だけが表示されていた。


冷蔵庫の中の食品が「そろそろ腐ってくるころかな・・・」という時期に差し掛かると、 その頃の私たちは、

  1. まず、においを嗅ぎ、『記憶にある個々の食品独特の腐ったにおい』と照らし合わせて、ダメそうなら捨てて、大丈夫そうなら少し食べてみる
  2. 少し食べて、『記憶にある個々の食品独特の腐った味やにおい』と照らし合わせて、ダメそうなら捨てて、大丈夫そうなら食べる
  3. 『過去の経験』と照らし合わせて、「これくらいだったら、吐き気を催したり腹痛や下痢になったりしない」と思えば食べ、そうでなければ捨てる

そんな手順を踏んでいた。


或いは、経験から導き出した製造日からの経過日数によって、捨てる・捨てないの判断をしていた。


『消費期限』の制度は、そんな判断を人から取り上げてしまったのだ。


日本は国を挙げて、『消費期限』を記述する制度を導入して、

  • 「自分の感覚を手放せ!」
  • 「自分で考えるな!」
  • 「自分で判断するな!」

と我々に迫っているのだ。


表示されている消費期限を経過していないものであれば、腐って酸っぱくなってしまっていても、何の疑いも持たずに食べてしまう人が、既に作り出されてしまっているのではないかと心配になる。


そして、自分の感覚や判断を放棄させられてしまった人たちが、そんな食品を口にして体調を崩した時の叫び声が、私にはもう聞こえくる感じがする。

  • 消費期限内の食品を食べたのに、体調を崩してしまった。どうしてくれる!
  • 衛生管理はどうなっているのだ!
  • 鮮度管理はどうなっているのだ!
  • 危機管理はどうなっているのだ!
  • 休業補償をしろ!
  • 慰謝料を払え!

自分の責任(感じ考え行動する)を取り上げられてしまったのだから、他人の責任を追及するしか、もう道は残されていない。


何にしろ、過保護な対応は、人から自己責任能力を取り上げ、他人を責める人を作り上げるのである。


今のところ、ニュースでよく耳にする『責任能力』という言葉のように世に問題提起をすることはない。


『自己責任能力』を保障するために、個人個人の感情・思考・行動を、もっと尊重するような社会に戻していかなければ、世の中は、もっともっと、とんでもないことになりそうでならない・・・。

2009年7月7日火曜日

新型インフルエンザのこと

新型インフルエンザってどうなったのだろう?

我々がマスコミに踊らされる理由。

それは、片側の情報がいつも欠落し、一つの情報のみを与えられること。

マスコミが飽きるまで、その情報を与え続けられ、マスコミが飽きるとその情報を流さなくなるというマスコミの習性。

毎年流行るインフルエンザの患者数と死亡者数の統計ってどうなっているの?

君たち、その辺、整理して、比較しながら、報道しろよ。

ただ、その時に気になったことを、気が済むまで報道し気が済んだら終り。

ネットに数多く存在するまとめサイトの方が、よっぽどジャーナリズムだ。

マスコミ・報道関係の方々、一度、仕事を辞められたらいかがかな。

2009年7月3日金曜日

社会が直面している矛盾の一つ

金川被告、閉廷間際に無言で机倒す 2カ月先の次回公判期日に怒り


短絡的に考えれば、次のようなことになってしまう・・・・。

【課題】
自殺ほう助が無差別殺人などの凶悪犯罪を減らす。

(矛盾)

自殺者を減らさなければならない。


【答え】
自殺者は減らず、犯罪も減らない




自分が死に至るまでの経緯のイメージが違うだけで、結局、両方とも「死にたい」気持ちになっている。

人が死にたくならない社会にすればいい。

それだけのこと。

なぜ、死にたくなるのか?

普通の人が普通に考えていても、答えは出てこない。

識者や権威者の話なんか聴いていないで、悟りを開いた禅の老師にでも、教えを乞いなさい。

良い勉強になりました。

堀江氏のブログに次のような投稿があった。

ソープランドと売春防止法
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10291729644.html

国家権力の、非合法・合法に関わるダブル・スタンダードについて書かれています。

なんかこれまでスッキリしなかったことが、スッキリしました。

良い勉強になりました。

2009年7月1日水曜日

ニート支援法成立だって・・・

http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=pol_30&k=2009070100062

ニートとは、国の教育政策の過ちを正しい方向に引き戻すために自然に生じている流れだということを理解していますか?

それを理解せずに、法律を作り、その原因となった国策に従わせようとすると、人々の心の闇はより深まってしまいます。

インフルエンザにかかった時、高熱が悪いと認識し、解熱の対処だけをすると、ウイルスは増殖し、人の体は致命的な打撃を受けるのです。

この法律もそんな対処ではないかと心配です。

文部科学省の愚かな政策によって希望を捨てさせられた人たちが、この法律で、更にその逃げ場も奪われてしまうのです。

我々、一般ピープルは、無能な官僚による支配の奴隷から抜け出すことができません。

最近、BOSSというテレビドラマで、テロリスト役の反町が言っていたセリフが心に響きました。

「なぜ、この国の人々は、暴動をおこさないのか?」

この国は、暴動やテロを通り越して、革命やクーデターが起こる基礎が出来あがってしまっていると思っています。

なのに、なぜ、それが起こらないの?

それは、長年の教育制度の成果として、人々は「うつ的」な傾向を植えつけられてしまっているからです。

そして、指導者が不在だからです。

政権交代などということでも、このリーダーを獲得できないような・・・・。

バランス感覚があって、真実を見きわめ、心の正義のために行動できる人であれば、問題ないでしょう。

しかし、ここに、偏った指導者が現れてしまったらと思うと、恐ろしい。

誰でも、人は、リーダーと思う人に飛びついてしまう心理に陥っているからです。

人々の熱狂的な支援のあと、手腕をふるいだしたその人は、その人の心の偏りや価値観の偏りを露呈し始めるのです。

その時は、もう遅いのです。

末期的状態にあるこの国は、もう、とどめを刺されてしまったあと。

東国原さんは、大丈夫なの?

人々は、もっと冷静に、しかし、強く自分の思いを主張しなければなりません。

誰かを支援するのではなく・・・・。

歴史のことはあまり分からないのですが、何となく、今は江戸末期に似ているような・・・。

この国の現状を、そしてこの国の将来を、心から憂いている人たちが、リーダーシップを発揮してくれることを切に願っています。

なんて心配をしなくても、もしかしたら、坂本竜馬のように維新実現のために調整に奔走している人は、既にいるのかもしれませんが・・・。

2009年6月30日火曜日

なんとなく・・・

アメブロって、オープン mixi って感じ。
それだけ。

2009年6月29日月曜日

地球温暖化対策

現代社会において、地球温暖化対策ということが、今は、当たり前になってますよねぇ~。

でも、それって、人間の浅はかさの象徴なのかもしれないと思うのです。

本当に、その原因は、人類の営みが原因なのでしょうか?

そして、それに対して、現代の科学知識に基づいた対処をすれば、本当に解決するのでしょうか?

少なくとも、経済社会の中で生きるなかで、意味不明な万能感に支配されつつある人たちは、それを信じているみたい・・・。


人類は、神様になったつもりなの?



得体の知れない万能感から解放されなければ、人類は、排除されるような・・・・

それとも、このまま万能感に支配された営みを続けていれば、本当の神になってしまうのかも・・・?

現代の人たちは、愛について正面から向き合おうとしていません。

だから、何かに執着しなければ生きていけなくなっています。

その執着は、科学や経済の発展、生活の物的な豊かさ、に大きく影響しているかもしれません。

しかし、愛が抜けているのです。

そんな状況の中、万が一、人類が万能の存在になってしまったら、予測される人類の行動は、愛の無いところで、この世の中の全てを自分たちの思い(各自がバラバラに持っている執着)のままにコントロールしようとすることです。

人類の数だけ存在する神が、それぞれの万能の力によって、この世を思い通りにしようとする。

これは、戦争です。

そして、その時私たちがなっているのは、神ではなく悪魔なのですよ。

もう、経済や科学の発展なんかどうでもいいじゃないですか。

さあ、窓を開けて、外の空気を感じましょうよ。

そして、自然の中で生かされている、自然の中で与えられている、そんな存在に戻りましょうよ・・・。


でも、困ったことに、ほとんどの人は、あさっての方向が好きなんです。

2009年6月28日日曜日

ローカリゼーション

そろそろ、現代の妄想から目を覚ましましょうよ。

そのためには・・・

高速道路を縮小し、
都銀にご収束頂き、
流通業にもご収束頂き、
株式市場を廃止し、
航空機や新幹線などの高速移動手段も縮小し、
大量輸送もご収束して頂き
・・・・・

そんなことをすれば、

経済社会化という災害によって破壊された世界に、災害直後の復興が始まる。


人口は分散し
地域の農林水産業・製造業は息を吹き返し
地域社会が活性化して、
人々の生活は、豊かになる。
心がネ!

お豆腐屋さんは、効率・利益増大など求めなくても、昨日も、今日も、明日も、おいしいお豆腐を作ることに集中できる。

それで、良いんじゃないの?


都市銀行が利益を吸い上げ、
株式市場が利益を吸い上げ、
吸い上げられた利益がどこかに消えていく、
そんな「誰も幸せにしないシステム」の奴隷に、我々がなっていたことに気付くでしょう。

そして、そんな風に消えていた利益が地域社会に戻り、地域の中を廻り始める。

そろそろグローバル化という破壊から、人類は卒業せねばならない。

産業や経済・科学技術は発達しても、文明は衰退しているという自覚を持たねばならない。

そう思います。


というものの、まっ、行きつくところまでいかないと、軌道修正できないでしょうけど・・・。

どころで、我々は、このままの状態を続けていると、どこに行きつくのでしょう?

報道番組ばかり見てると馬鹿になる!?

現代は、表層的な情報(見たままの情報、聞いたままの情報など)など、新聞やニュースを見なくても、インターネットの世界から容易に手に入る時代です。

だから、一つのテーマについて、時間軸分野と立場をまたぐ横軸の2方向に散在する情報を体系化するという姿勢を貫く姿勢を保てなければ、ジャーナリズムを語る資格なんてないんじゃないかな。

記者や評論家・コメンテータ・解説者・キャスター等の多くは、そういう視点が欠けているという自覚がないような・・・・。

せめて、テレビ番組を制作するたちが、この問題を解決してくれればいいのに期待薄・・・・。

日本の情報やニュースは、情報という名を偽称する流行に過ぎないの。

みんな、気付いてる?

インターネットの表層的な情報を、番組で取り上げるなんてもってのほか。
取材能力の無さをカミングアウトしているようなもの。

報道関係者のプライドはいずこに?

お笑い番組は、お笑い番組だという視点で見るから問題ないけど、報道番組はそういう色眼鏡が働かず、その情報をそのまま受け入れてしまいやすいところがあるの。

そして、事実だけでなく、キャスターやコメンテータの考えまで聞かされちゃうから、もう、思考停止な人たちが続出。

だから、みんな、報道番組を真(ま)に受ければ、馬鹿になってしまうよ。

報道番組が始まったら、みんな、テレビの電源を切りませんか?

そして、自分で考えましょうよ。

ねっ、そうしましょ! 

洗脳社会から抜け出すために!

これが、日本を良くするための第一歩だと思います。

2009年6月24日水曜日

記事を書き込むとポップアップ

記事を書き込むと、ポップアップが、いちいち表示されて、少しウザいかも・・・。

CyberAgentって、ポップアップによる仕掛けが大好きみたいですねぇ~。

Google Adsense

ほほぉ~ん。

Google Adsense は、アメブロのものが勝手に挿入されてしまうのですね。

アメブロを始めました。

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