2009年9月24日木曜日

情報の加工は最小限が望ましい。(国民をアホにしないために)

今朝のテレビを見ていて、「加工しすぎた情報」を垂れ流すのはマズイと思った。



「今日の天気」といったコーナー。(7時台の、たぶんテレ朝の番組)


そのコーナーの中で、「傘が必要」・「傘が不要」という情報が都道府県別に示されていた。



私は、家を出るときに、「傘を持て行くか」「傘を持って行かないか」は、今でも、空を見上げることと、肌の感覚とで決めている。


それで、ちょっと決めかねた時は、天気図を見て判断する。


別に、過去に、天気図の勉強をしたわけでもないが、それで、問題なくこれまで生きてきた。




人は、次の各ステップを、自分自身がしっかり体験することが大切だと言われている。


感じる -> 考える -> 行動する


「このパターンを独自に繰り返してこそ、人が人であるという証になる」という考え方だ。





人に情報を投入する主な場所は、次の2つが挙げられる。

1.「感じる」ステップと「考える」ステップの間

2.「考える」ステップと「行動する」ステップの間


問題は、2のパターンだ。

このパターンの特徴は、人から、「感情・感覚」「思考」を取り上げてしまうところにある。


例として次のようなものが挙げられる。


[ロボット]

ロボットは考えることができないので、どのように動けば良いのかという情報を、別途考えて外部から与えてやる必要がある。情報を与えれば、ロボットは、その通りに行動する。


[強固な目的集団(例えば、軍隊)の構成員]

個別の思考を許すと、組織の目的達成が妨げになるため、情報が統制され、指示系統の死守が強要される。




これらの例では、結果を意図して情報をコントロールする。

だが、意図がなくても、この位置に情報を投入するだけで、人から感覚・感情や思考を奪い取り、人をロボットにしてしまう恐れがあるのだ。



今日の天気の例で言えば、『天気予報で傘を持てと言われれば傘を持ち、傘を持つなと言われれば傘を持たないロボット』だ。



現状を深く検証するのは面倒だからやめておくが、例えば、「食品の消費期限を経過していたら、食品を捨てるロボット」になっている人は既に多いと思う。


昔は、製造日を見て驚き、においを嗅ぎ少し毒見をして、いずれかの段階で「これはダメだ」と残念ながら確信してしまったときに、ようやく食べるのを諦めたものだ。


余談が長くなってしまった。



これは、自分の感覚・感情・思考に基づいた行動か?

そう問い直すことは重要かもしれない。




マス・メディアも、その辺のこと、細心の注意を払って情報を流してもらいたい。

行政も、何らかの対策をするときは、情報の加工のし過ぎ注意してもらいたい。(新型インフルエンザの件では、一般の人だけでなく医師さえも、何も考えられなくなっているように感じる。)


その他何らかの情報に関わる各位が、情報が人を動かしてしまうということを自覚すること、そして、利益だけではなく人の幸せも真剣に考えてくれることを、切に願う。



マスに情報を流せる位置にいる諸君、私たちから、感覚・感情・思考を奪うことは、もうやめなさい。





P.S

最後に思ったのだが、チェーン展開時のマニュアルによる統制は、結局は人のロボット化なのだろう。マニュアルの徹底は、人から幸せを奪い取ってはいないかと、心配だ・・・・。経済に視点を置いた報道ばかりで、その辺が、全く見えてこないが、苦しく追い詰められるFCのオーナーは多いと、風のうわさは流れてくる。

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