2009年9月18日金曜日

次は、「裸の王様」になってしまった報道の改革

多くの報道関係者は、「中立的な立場で、社会を監視するのが自分たちの使命」 的なことを主張している。


それを実現するためには、まず、自らの力によって、自分たちの中立性を確立し維持し続ける姿勢が必要だ。


これを自浄作用と呼ぶこともできるだろう。



しかし、今回の民主党による政権交代に関わることで明確になりつつあるが、権力を保持期間の長期化に伴い、自浄作用が薄れていくとともに、さまざまなものとの癒着を生みだしてきた


そして、権力と既得権益が絡まった生命体のようなものになり、その複雑なもつれあいによって、もう、正義に基づく判断と行動ができなくなってしまう。


これを正常化させるのが民主党の仕事です。



さて、前置きはここまでにして、ここからは報道のお話です。


報道は、言葉 と 映像 と 編集による事実の歪曲・創造(ねつ造) と マス伝達 による、一種の暴力的な権力を有しています。


彼らは、このことが分からなくなってしまっている。


そして、そのような「報道の自由」という偽りの正義を振りかざした報道という呼称を語る暴力集団を監視するのは、次の2つでしか実現できない。


・法律による制限

・報道組織同士の監視・けん制



視聴者がその役割を担いそうだが、マスコミの視聴者重視という虚言によって騙されて洗脳されてしまっているので、なかなか難しい。


第一、主張する手段がないのだから・・・・。(2ch掲示板の役割と存在意義は、そんな彼ら(というか、私たち)に、マス伝達の手段を与えること。しかし、テレビ放送に比べれば、その影響力と影響範囲は段違いに低いので、まだ、マスメディアとは対抗できるまでには至っていない。)



法律による制限は、最も、マスコミの癇に障るところだ。


マスコミは、報道の自由という権利を主張し、「マスコミの被害者であることに無自覚な一般市民」を、報道の自由論者に仕立て上げる愚行を繰り返すので、使えない。



そこで、可能性が残っているのは、マスコミ同士の監視・けん制だ。


報道をけん制できるのは報道しかない」ということです。




だが、評論家・コメンテーター・キャスターたちは、事件や問題の関係者・当事者批判に終始する。


他者、他局の報道の内容・姿勢を批判してみてはいかがかと思う。


でも、報道が横並びでなーなーなのだから、もう、どうしようもない。


同じようなニュースを同じように垂れ流す。


取材する人が違えば、取り扱われるニュースは全く異なっても良いはずだ。


なのに、どの放送局のニュースを見ても、大体、同じような内容だ。


不思議だ。


「微笑ましい話題」といわれるどうでも良いトピックスさえ似通っているのだから末期的だ。


それが、日本の報道の現状だ。


これは、リーク報道至上主義を続けてきた結末なのだろう。





そのような姿勢は、ねつ造体質を増大させ、報道・放送への信頼度を減少させ、視聴率を低下させる。


地上波デジタル放送化への負担も重くのしかかる。


デジタル機器の普及によって、テレビ放送の広告媒体としての有効性は、既に失われている。


このことに目を向けることは、今は、若干タブー気味になっているかもしれないが、デジタル化が完了してしばらくすれば、もう、直視せざるを得なくなるだろう。


その結果、スポンサーは離れ、経営難へ。


やがて、外資が投入され、ようやく、他者の報道や自社の報道の批判や反省情報も、放送されるようになる。


そして、報道は健全化するかもしれないし、よく知らないが、「現在の、海外メディアが抱えている問題」を、日本のメディアも抱えるようになる。



そんな流れだろうと想像する。


きっと、海外に比べたら10年以上は遅れているのではないか?





そんな流れにならないように、至急、改革に取り組んでくれたまえ。


自分自身の力で。


絶大な権力を持ってしまった裸の王様には、もう、誰も何も言ってくれない。



自ら気付き、自ら取り組むしか、もう、道は残されていないんだよ。

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