2009年7月26日日曜日

環境破壊と人間のおごり

3日程前、テレ朝のモーニングショーでレジェンド・ハンターというコーナーがあった。


昔栄えていたが、現在は廃墟となっているところを訪問することがテーマ。


今回は、昔、金の鉱脈によって栄えた北海道の町の跡を訪れていた。


その町は、すっかり森の木々の中に取り込まれていた。


建物の中にも大きな木が生えて、抜け落ちた天井から天高くそびえ立っていた。




現代社会において、環境破壊が問題になっている。


また、化石燃料の燃焼に伴って発生する二酸化炭素が、地球温暖化の原因として、その削減対策に取り組もうとしている。




しかし、それらは、人間の浅はかな考えだ。


人が何かをすると、それは、環境を破壊する。


農業ですらそうだ。


例え、山村で自給自足の生活をしたとしても、それが人の行いである限り、自然の営みに反して、自然を破壊するのだ。




しかし、人間が何もしなければ、レジェンドハンターで紹介された昔栄えた町のように、森にとりこまれるのだろう。


それが、東京の都心だとしても。




今、人間達は生きている。


それも、地球に課せられた試練なのだろう。


だから、人間の存在を否定することはしない。


しかし、自然を回復させるために、人に出来ることがあると思うのは間違いだ。


人が意思をもってすることは、全てが自然の破壊につながる。


本来、人は、誤った万能感の支配を捨て、そのような存在であるという自覚のもと、つつましやかに生きていかなえればならない。



意識は、自然の方向に向いていなければならないということだ。



しかし、人は、経済という虚構の方向を見つめている。


根拠のない万能感を伴って・・・。




地球温暖化は自分たちの活動のせいだという考えも、もしかしたら、人間の思い上がりかもしれない。


地球何十億年の歴史の中で繰り返されてきた大きな流れの中で、人間の想像も及ばない大きな力によって起こっていることなのかもしれないのだ。



そんな状況の中で、無知の科学が原因を特定したと錯覚し、その錯覚も、自然回帰ではなく、二酸化炭素排出権売買ビジネスへと結びついていく。


現代社会の人々、特に、自らが先進国と称している国の人々は、革命でも起こったり、滅亡でもしない限り、そんな思い上がりからは、解放されることはないだろう。



せめて、自然な価値観の中で暮らす人々を、グローバル化と称して自分たちの価値観にとりこみ続けることを止めてくれれば良いのだけれども、それも無理だろう。


人類は、行きつくところまで行くしか道は残されていないのか。



人が行きつくところまで行きついた後でも、きっと、自然は廃墟を森に戻してくれるだろう。

石灰化した地上を肥沃な大地に戻してくれるだろう。



現代の人を、天から大きな視点で眺めてみれば、ただ地球を破壊するだけの存在になり果ててしまっていることに気づくだろう。


自然を復活させることが出来るのは、人の力ではなく、自然の力だけなのだ。


まず、それを自覚しなければ、人類の存在は、日に日に危うくなっていくのだろう・・・。

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