昔、食品に、賞味期限という考え方が導入される前は、製造年月日だけが表示されていた。
冷蔵庫の中の食品が「そろそろ腐ってくるころかな・・・」という時期に差し掛かると、 その頃の私たちは、
- まず、においを嗅ぎ、『記憶にある個々の食品独特の腐ったにおい』と照らし合わせて、ダメそうなら捨てて、大丈夫そうなら少し食べてみる
- 少し食べて、『記憶にある個々の食品独特の腐った味やにおい』と照らし合わせて、ダメそうなら捨てて、大丈夫そうなら食べる
- 『過去の経験』と照らし合わせて、「これくらいだったら、吐き気を催したり腹痛や下痢になったりしない」と思えば食べ、そうでなければ捨てる
そんな手順を踏んでいた。
或いは、経験から導き出した製造日からの経過日数によって、捨てる・捨てないの判断をしていた。
『消費期限』の制度は、そんな判断を人から取り上げてしまったのだ。
日本は国を挙げて、『消費期限』を記述する制度を導入して、
- 「自分の感覚を手放せ!」
- 「自分で考えるな!」
- 「自分で判断するな!」
と我々に迫っているのだ。
表示されている消費期限を経過していないものであれば、腐って酸っぱくなってしまっていても、何の疑いも持たずに食べてしまう人が、既に作り出されてしまっているのではないかと心配になる。
そして、自分の感覚や判断を放棄させられてしまった人たちが、そんな食品を口にして体調を崩した時の叫び声が、私にはもう聞こえくる感じがする。
- 消費期限内の食品を食べたのに、体調を崩してしまった。どうしてくれる!
- 衛生管理はどうなっているのだ!
- 鮮度管理はどうなっているのだ!
- 危機管理はどうなっているのだ!
- 休業補償をしろ!
- 慰謝料を払え!
自分の責任(感じ考え行動する)を取り上げられてしまったのだから、他人の責任を追及するしか、もう道は残されていない。
何にしろ、過保護な対応は、人から自己責任能力を取り上げ、他人を責める人を作り上げるのである。
今のところ、ニュースでよく耳にする『責任能力』という言葉のように世に問題提起をすることはない。
『自己責任能力』を保障するために、個人個人の感情・思考・行動を、もっと尊重するような社会に戻していかなければ、世の中は、もっともっと、とんでもないことになりそうでならない・・・。
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