2009年8月31日月曜日

民主党に期待していること

テレビで評論家達は、「マニュフェストの実現に注目」なんて言っている。


でも、民主党の第一の仕事は、そんなことよりも、


国民が、隠されている・陰で何かが行われている感じている感覚に対して、答えを出していくことだと思う。



「マニュフェストは約束だ」、「マニュフェストは守らなければ、国民に嘘をついたことになる」なんて言う輩もいるが、影に光を当てて良く眺め、そのあと、もう一回マニュフェストを作り直しても良いくらいだと考えている。



別に、民主党が何かをしなくても、


これまで、自民党や官僚が隠してきたこと隠そうとしてきたことを、世に知らしめるだけでも、自浄作用が働いて、最悪の現状から抜け出していくだろう。


秘密こそが、諸悪を生み出す悪の温床となっていたのだ。



これまで、自民党や官僚が隠してきたこと、隠そうとしてきたことを、世に知らしめるだけでも、事足りるような気がする。



国民は怒り、その力によって、最悪の現状から抜け出していくだろう。



その流れをつくることが、民主党に求められている仕事だろうと思う。


既出のマニュフェストは進めながらも、洗い出されていく闇の中で見直していくことも必要。



そこで、今のマニュフェストに最優先事項として明記してほしいこと


■ 行政の隠し事を世に知らしめる。

■ 政治の隠し事を世に知らしめる。

国民が「隠し事をされていない」と感じることができる行政・政治の仕組みを作る。



初めにそれをやっておかないと、自民が作った仕組みによって、民主党が責められる時がやってくるに違いない。責めるのは誰かというと、自民党であり、マスコミだ。

そうなれば、政治は、選挙前の意味不明状態に舞い戻ってしまう。そうなったら、もう、本当の革命が起きなければ、日本は救われなくなるだろう。



そうそう、マスコミ諸君、政治家が意味不明な受け答えをした時は、意識的に煙に巻かれようとする癖はやめた方が良い。


というか、マスコミは自民党が怖いから煙に巻かれていたのだろうという感じもある。


民主をなめているから、きっと、曖昧な答えには納得せずに突っ込んだりするのかな・・・・、なんて。


そんな変化があるとしたら、マスコミも現在の状況を作った一味の一員だ。



また、野党である自民党の人たちと、どのような受け答えをするかが見ものだ。

与党の民主には突っ込み、野党の自民には煙にまかれる。

もし、そんな状況であれば、そんな習慣がしみこむような、何かがそこにあったということなのだろう。



もし、変化が無く、煙にまかれ続けるなら、アホだ。


民主は煙に巻くようなことはしないと信じたい。

そして、マスコミは、煙に巻かれないと信じたい。



これからのキーワードは、CHANGEではなく、OPENだ。



もし、民主党が、闇を暴こうと必死にやってくれていることを感じたら、既出のマニュフェストがどうのこうのと騒ぎすぎないで欲しい。


今、何が一番大事なのか?


国民は、マスコミに踊らされることなく、これからのことを冷静に見極めていってもらいたい。

なぜ、あんな年寄りが選挙に出続けるのか?

あんな年寄りが引退せずに選挙に出るってことは、「政治家って、よっぽどの旨みがあるのだろうな」と想像してしまう。


その旨みって何なの?


個人的な権力欲ということで説明できることなのか?

2009年8月30日日曜日

ちなみに・・・(選挙のこと(追加))

ちなみに、私は、別に、民主党のファンではない


政治家で誰が好きかというと、石破さんだったりする。


でも、今回は政権交代を望んでいる。


なぜか?




日本は革命が起こっても不思議ではない基礎は出来上がっていると思っている。


そして、我々国民が、合法的に起こせる革命が、政権交代だ。




だから、民主党に期待しているというよりは、革命的意味合いに期待している。




民主党に政権能力があるのか?


そんなことはどうでも良い。


これまでの継続を断つことが、第一の望みだ。



民主党も、もし、選挙で勝ったとしても、民主党の政権能力が期待されているから勝てたとは思わないで欲しい。


これまでの延長線上で微妙に改善を続けるのであれば、民主党が政権党である意味は無い。



今回の選挙のあと、革命的な動きが起きないことに国民が気付いた時、暴力的な革命が起こってしまうかもしれない。(そういう意味では、今回、新たにできた政党の動きは不気味だ。)



或いは、この国は、暴動の国へと変わっていくだろうと思っている。


個人が個人の主張だけを押し付ける世の中になるだろう。


お互いを思いやれない国に。



選挙の結果、政権がどのようなものになるにせよ、真実を見抜く目を持って、この国の将来の安心、この国民の本当の幸せを、求め続けて欲しい。





最後にもう一度。


国民が求めているのは政権交代ではなく、平和と安心のもとで行われる革命なのだと思う。



さっ、これから、選挙に行ってきます。

選挙で民主党が勝った後に試されること

もし、選挙で民主党が勝ったら、


その後、マスコミや自民党が発するネガティブキャンペーンに対して、どう反応するかで、日本の国民がアホかどうかが試される。


まず、マスコミ(特に、評論家・コメンテーター・解説者、などと呼ばれる人)は、アホだから、直ぐに、民主党に対する批判を開始するだろう。


また、自民党は、自民党でくだらない民主党議員のスキャンダルをコツコツと暴こうとし、そして、上げ足をとるような批判を繰り返すだろう。


それを、また、マスコミは、ニュースとして取り上げる。




そんな状況の中、辛抱強く、暖かい気持ちと、大いなる期待を込めて、新政権を見守ることが、我々国民ができるかどうかだ。




官僚天国を容認してきた自民党が排除されることを望む。


そして、民主党が、真実を見極めようとする目を持っていることを祈る。




今回の選挙の目標は、政権交代って言っているけど、私は、自浄能力の無くなった官僚制度改革本当のはじまりを期待する。

2009年8月28日金曜日

また、新型インフルエンザのこと・・・・

どうも、新型インフルエンザの対応が、ピンとこない。



インフルエンザ検査の精度は本当に確かなのか?


いわゆる夏風邪も検査に引っ掛かってしまったりするんじゃないかと疑ってしまう。



また、腎機能障害があるとダメージが大きくなるとか言っているけど、こっちは、タミフルの副作用じゃないかと疑ってしまう。



そういえば、タミフルの導入の経緯は怪しかった。


ある時期から突然、何の脈略もなく、新型インフルエンザの発生危機が迫っていると騒ぎだし、


政府か厚労省が、それに対応するためのタミフルを備蓄しないといけないと言い始め、


気が付いたら、普通に流通させて流通備蓄のようなことにして、


医師のインフルエンザの対応も、以前の対応とはと一変させてしまった。




タミフルを飲んだ時に起こすことのある異常行動も、


タミフルではなくインフルエンザにかかったことによってとる行動だと言い始めた。


それ以前、少なくとも私は30年、「インフルエンザに掛ったことが原因で窓から飛び降りた」なんて話は聞いたことがない。


でも、医者やマスコミは内裏を合わせたようにそう言った。




パンデミックだと大騒ぎし、

弱毒せいだから騒ぐなと騒ぎ、

感染者が何万人突破したと、突然、騒ぎだし、

秋には、何十万人に拡大すると騒いでいる。

対策が功を奏したと言って喜び、対策しないといけないと不安を煽る。



人は、「感染拡大が、人の力でどうにかなる」と本気で考えているところが、浅はかだ



それぞれの人(個人個人)が、それぞれに対策をして、予防しようとするのは大切なことだと思う。


手洗い、うがい、マスク・・・・


その対策は、きっと有効なことだろうと思う。



でも、それはあくまでも個人の話。


世界での感染拡大を世界的にコントロールしようとするのは、正気の沙汰とは思えない。




逆に、毎年流行るA型やB型のインフルエンザは、なぜ、コントロールしようとしないのかも不思議に思えてきた。


コントロールできないことを知っているからか?


とりあえず、その時期が来れば、マスコミや医師などはワクチンを注射したり、手洗い、うがいは推奨する。


(ワクチンって効果があるのかも疑っているのだが、それは、まぁいい。)


そして、人々もそれに従う。


でも、そんなこととは無関係に、インフルエンザは毎年猛威をふるい、ピークを迎え、やがて収束していく。


それは、自然の流れだ。


これは、人の対策・国家の対策が功を奏する訳ではない。




なのに、この新型インフルエンザに限っては、例外的に対応しようとする。


なぜか?



これは、世界人類に「誤った全能感」が広まっていることを示す良い例でははないか・・・・。




最後に、国やマスコミの焦点の定まらない報道などは無視して、外出したら、手洗いうがいをすればいいんじゃないですかね。


それが、人類にできる限界なのですから・・・・。




ちなみに、私は、医者ではなく、ただのおっさんです。

2009年8月22日土曜日

デフレ

経済のこと、深く勉強したわけではないけど、デフレの主な原因は次のようなことだろうと考えている。


  • 物流が必要以上に発達すること
  • 株式市場・金融市場に必要以上にお金が流入すること
  • 株主が企業経営に余計な口出しをすることが当たり前になること
  • 経済のグローバル化に巻き込まれること
  • 庶民の給与が削減されたり、仕事を取り上げられたりすること

これらが反対の方向に向くような対策をすれば、効率化という呪縛から解放され、生じた無駄が仕事を生み出し、お金の潤沢な流れを作り出し、人の暮らしや社会を安定に向かわせることだと思う。



だから、『成長率』をキーワードとする対策では、社会を良くすることは出来ないんだよ。




経済学者の諸君、まじめに、やってますか?

他人の論理の追検証みたいなことをやっている場合じゃないと思いますよ。

今の時代においては、新しい論理が求められているのですよ。


経済学、哲学、社会学、経営学・・・などという縦割りの組織では、それを考えるのは難しいかもしれませんが・・・・。

2009年8月21日金曜日

『環境保全』という環境破壊

当たり前のことですが、自然は絶えず変化し続けています


何一つ同じ状態を保ったものは無いと言えます。


それが自然の摂理です。


このことが分かっているようで分かっていない。




昨日、朝のテレビでワイドショーを見ていると、どこかの砂浜のことが話題にされていました。


ある砂浜が海流に浸食されて、このままでは無くなってしまうと。


それを防ぐために、海底に砂や土を投入したりして、自然の力を利用して、砂浜を復活させようとしていると。



このような話を聞くと、自然を守ろうとしているように錯覚してしまうのですが、これも立派な環境破壊であることに気づかなければなりません。



人の価値観もとづいて自然の摂理に逆らおうと行われる行為の全ては環境破壊・自然破壊なのです。


このことを理解したうえで、人間社会に必要な部分を、遠慮しつつ、例えば、護岸工事などをさせてもらっているという感覚を持つことが大切だと考えます。


間違っても、環境保護・自然保護などと思わないように!

放送番組責任者法

放送番組責任者法を作ったらどうかと思うのです。
  • 評論家やコメンテーターにコメントや評論・批判を話させ、評論家やコメンテーターが勝手に話したってことにする
  • 一般市民のインタビューの中から番組に都合の良いコメントをピックアップし、一般市民が勝手に言っているということにする
  • 映像の中から番組に都合の良い部分をピックアップして、映像なんだから事実だと主張する

そして、それを放送した責任を殆ど取ろうとしない。


全ての責任を他人に押し付けることで、現在の放送は成り立っている。



その挙句に、この記事のようなことを主張している番組関係者もいることに驚いた。




J-CASTニュース : 殺人容疑者のトンデモ顔写真使用 フジテレビの「お笑い」?報道感覚


フジテレビはなぜこの写真を使ったのか、他に適当な写真は無かったのかを問い合わせてみたところ、同局広報部は、

「写真使用については編集権に関わることですのでコメントはできません

とのことだった。



で思うのだが、番組関係者は、番組の終わりのテロップ?に名前を一応表示したりしているが、感覚的には、匿名という傘に隠れて、好き勝手なことをやっているようなことになってしまっていると感じる。


なのに、報道の自由を盾にするからタチが悪い。


編集責任があるのだかあら、コメントしろ!


いい加減な言葉を使った言い逃れが蔓延してしまったのは、小泉さんの影響なのだろうか・・・・。


まあいい。




そこで、彼らに責任感を伴った活動をさせるために、まず、呼称を変更すると良いと思う。



私には、誰がどんな役割を果たしているのか良く分からないのだが、たぶん、放送業界では一般的には、ディレクター、プロデューサーなどと、呼ばれていると思う。


それらを、意味の分かる日本語で表現するようにすると良い。


そして、責任の区分を明確にするために、記事やテーマごとに、例えば、次のような担当責任者を、テロップと口頭によって告知する。


記事・テーマ総責任者 : ●●●●

原稿作成責任者 :●●●●

映像編集責任者 :●●●●

画像選別責任者 :●●●●


また、特にキャスターと思っている人が自分の考えを話す時は、自分が責任を持って発言することを宣言してから話し始め、主張が終わったら自分の責任発言が終了したことを宣言する。 現在のキャスターの発言は無責任すぎる。



そして、番組の最初と終りに、その番組の放送行為に関わる総合責任者を、例えば、


番組作成総責任者 : ●●●●

番組放送許可責任者 :●●●● 

放送責任者: ●●放送社長 ××××


といったことをテロップと口頭によって告知する。



問題を指摘されれば、これらの責任者が記者会見を行う。


(そこでは、記者のいい加減な指摘に振り回されず、自分の主張をしっかりと主張し、記者の指摘ではなく「正義」と照らし合わせて、過ちであると判断した場合は、しっかりと謝罪する。)



こんな仕組みにすれば、日本の国民全体をアホ化するような放送も、ちっとはマシになるのではないかと思う。


世の中に、放送業界が作り出す、奇妙な世論を広めてしまうことも少なくなるだろう。



いかがですか、そんな放送番組責任者法は?



そうそう、あと、放送の基準を、視聴率だけでなく、使命感や正義と照らし合わせるように変更しないといけない。


ドキュメンタリー、報道番組、ワイドショー、情報番組関係者の方々、そういうことで、よろしくお願いしますよ。




【ついでに】

ただ、放送の収益モデルは、CMスキップ機能とともに崩壊し始め、それに広告主企業が気付き崩壊が加速した。


更に、インターネットからの情報は、放送関係者の曇ったフィルタがかかっていないので、生や本音に近い情報に引き寄せられ、壊滅に向かっている。


もちろん、インターネットは誤った情報も多いが、誤った無責任な情報を流しているという意味では、テレビ放送とドッコイドッコイだが、総合すると、インターネットの方が良い。


テレビ関係の方々、頑張らないと、地上波デジタル化に関する設備投資は、設備だけ残して終わる、日本最悪の箱もの行政にしてしまうかもしれませんよ。


そして、ケーブルテレビだけが残るのだろうと思うのですが・・・・。

2009年8月19日水曜日

日本の放送業界の日本語をダメにした男

昔、プロレスだったかの実況の中で、実況解説と称して、脈略の無い言葉ただ羅列して、ひたすらに叫んでいた男がいた。


大袈裟な表情大声で。



「おぉっと! ・・・・・・・」



「おぉっと! ・・・・・・・」



「おぉっと! ・・・・・・・」



それが世間で妙にもてはやされたものだから・・・


それを境に、次第に実況中継が、「取材した情報を的確なタイミングで紹介する」「状況を的確に把握し言語化する」というよりは「ヘンテコな言葉を使って笑いをとる」的な方向へと動き出したような気がする。




最近の報道ワイドショーのキャスターと呼ばれる人たちも、思慮のなく言葉を使い過ぎだ。


殆ど、全ての番組で、同じようなひどい状況になっている。


今は、具体的には思い出せないが、報道番組を見ていたら、突っ込みどころ満載で、イライラして見ていられなくなる。


一度、「こいつは、きちんと理解して話しているのか?」という視点で見てみると、きっと、そのひどさに気づくはずだ。




昔は、「アナウンサーが日本語を守ってくれる」と信じていた。


しかし、今、「アナウンサーとキャスターが日本語を破壊させる」と感じている。



そんな、流れの最初を作ったのが、「おぉっと!・・・・・・・」の人だと思っている。



選挙に向けて党首のインタビューなんか偉そうにする前に、これまで自分がしてきたことを総括して、その罪を国民に詫びてもらいたい気がする。

新型インフルエンザ

新型インフルエンザのこと、


また、流行拡大の兆候が表れていると大騒ぎし出した。


しかし、普通に考えたら、これまで「感染拡大が収まってきていた」というよりは、「マスコミや政府が騒がなくなっていただけ」というのは一目瞭然。


騒いだり、騒がなくなったり、また、騒いだり・・・


論理的思考の欠落した我が国の状況にはがっかりする。



もうひとつ疑問が。


毎年冬に流行るインフルエンザ死亡率 と 新型インフルエンザ死亡率


比較して報道されたのを見たことがないが、仮に、毎年の冬に流行るインフルエンザの方が高いような状況があるとしたら、政府マスコミさるだ。



あっ、私の仲間か!?



医師会は何をしているの?

同じくさる?!



■誰も責任を持って発言しない結果

この国のこれまでのあり方によって、誰も責任を持って発言ができない状況を作り出してしまった結果


こんな状況を作り出したのだろう。




何かが起こる都度、


自分が正しいと思う主張よりも、自分の責任問題を問われる可能性が最も低くなる論理自分の主張のように口走る


そして、それが自分の本当の主張ではないという自覚がない。



そして、何でも本質を見抜くことなく、最悪のストーリーをたどる。


それが今の社会の状況だと思うのです。

2009年8月16日日曜日

テレビを見ないと・・・Good

テレビを見ないと、心穏やかでいられる。


テレビを見ていると、偏った考えに洗脳されそうな気持ちになるのか、矛盾する論理に反応して、あれこれ考えてしまう。



「もしかしたら、日本からテレビを無くせば、日本人の心は穏やかになっていくのかもしれない・・・」なんて思います。





みんなは、テレビ見ててイライラしないの?

2009年8月12日水曜日

タイトルは重要(党首討論のネット報道)

党首討論のネットでの報道。


タイトルだけでも結構誤解を招くことがあるので、注意すべきだと思うのだが…




朝日はアウトのようだ。


自民党寄りのように感じてしまう。

FriendFeedのテスト

FriendFeed (http://friendfeed.com/ )というものを教えてもらったので、ちょっと、BlogのTwitterへの連動テストです。

結局、経済を破綻させるものは・・・

※以下、お猿の妄想につき注意



結局、経済はを破綻させるものは、経済学かもしれないと思う。


前年比・前月比・成長率・・・・


特に、このあたりの指標による評価がによって。



豆腐屋が


昨日、おいしい豆腐をつくり


今日、おいしい豆腐をつくり


明日、おいしい豆腐をつくり


それで良いじゃないか。



それを崩壊させたものは、経済学であり、


過度に権利を主張する株主の登場ではないのか。



配当をありがたがる切手コレクターのままでいれば良いものを。



効率を求めれば、大企業の効率化が勝利し、中小企業は太刀打ちできない。


利益は、株主と銀行に吸い上げられる。


世間に流通する資金は少なくなり、高価なものは買えなくなり、デフレが進む。


銀行と株主(特に、投資家と呼ばれる人たち)にばかり、お金が流れ込む仕組みにしてしまった。


効率化という大義名分の下、母国の国民の仕事は奪われ、外国労働者が迎え入れられる。


更に、グローバル化の流れも加速する。


低収入、過剰労働の流れも加速する。



一体誰のための経済なのか?



経済は、経済を利用する一部の人たちのためのもの。


特に、人間らしい理念の無い経営者のもとではその傾向は強まる。


労働者は、本当に弱いのか?


強いはずなのに、弱いと思い込まされている。


恐らく、グローバル化が世界を覆い尽くし、グローバル化という逃げ道が閉ざされてしまったとき、


経営者は、労働者への感謝を思い出すことになるのだろう。


その前に、この地上は荒廃し、人は、もう、住まなくなっているのかもしれないが・・・・。




以上、経済学など勉強したことの無いお猿の妄想でした。

2009年8月10日月曜日

政治・選挙について思うこと・・・

自民党は、総裁選をやらずに、総選挙に突入することになった。


そこで、自民党が勝利したとしたら、その後にその麻生さんが作る内閣が『国民に信任された内閣』ということになる。


しかし、自民党どっぷりの人はともかく、選択に自由度のある有権者が、あの麻生さんを、信任する人は多いとは思えない。


なのに、なぜ、自民党は、選挙前に総裁選をやらなかったのか分からない。


結局、誰を総裁にしても、自民党は勝てないと思っていて、その責任を麻生さんに取らせようとしているということなのか・・・。


結果論だが、自民党が勝つチャンスがあったとしたら、昨年の総裁選直後の解散・総選挙だったのではないかと思う。


しかし、もし、その流れになっていたら、麻生総理の率いる内閣は『信任された内閣』ということになり、その後4年間も存続してしまう恐れがあった。


そう思えば、現状の流れが、麻生内閣を最短で終結させる流れであったのかもしれない。




まぁ、政権与党が、民主党になるにせよ、自民党になるにせよ、総裁には、もっと見識深いリーダーシップを発揮できる人を選んで欲しいと思う。


ということでは、自民党は、やっぱり、解散前に総裁選を行い、前回の総裁選のように世論の人気(というよりは、マスコミの情報操作?自民党によるマスコミ操作??)に左右されるような過ちを犯すことなく、真剣に総裁にふさわしい人物を選んでおくべきだったと思う。


今回の総選挙で民主大勝利の後、民主党のスキャンダルによって、早々に解散し、政権を取り戻すシナリオでもあるからなのだろうか?


と色々書いたが、どの政党が与党や野党などという、どちらでも良いことへのこだわりから離れ、この国を良くするために、真剣に議論し、行動してもらいたいものだ。



この国の国民は、おかしな政治のやり方に洗脳されて疑問を持っていないが、どの党が政権党になるかなどということには関係なく解決すべき問題は変わりなく存在し、与野党ともに、その問題に一致団結して取り組めるはずなのである。




この国の政治家は、一体、何をやっておるのか!


マスコミも、政局の報道ばかりせずに、本質的問題をあぶり出し、しっかり報道してもらいたい!

2009年8月9日日曜日

再チャレンジ政策を思い出した・・・

次の記事のタイトルを見て、安倍晋三さんが首相をしている頃、再チャレンジ政策を掲げていたことを思い出した。


酒井容疑者 サンミュージック解雇へ…創業41年で初の汚点



政策の実施についてきちんとフォローしていないので、その結果をきちんと認識していないが、再チャレンジという雰囲気を社会に浸透させるには至らなかったのではないかと推測している。



なぜか?



解雇された人に再チャレンジのチャンスを与えることが出来る中核になる人は誰かということの認識が足りなかったと思う。


「解雇した人を、誰か雇用してあげて下さい!」


これは、自分の責任を棚に上げて、他の誰かに責任をとってくれと言っているようなもの。


責任転嫁 と タライまわし体質 を強化することになっても、それを解消する動きを起こすはずがない。


つまり、「解雇した人や辞職の申し出を受け入れた人が、その人を再び採用する」ということが当たり前のこととしなければ、再チャレンジ政策など実現するはずがない。


現在は、一般的に、大企業では、「一旦退職すれば、再雇用しない」という制度が、当たり前のこととして受け入れられているし、雇用時に雇用契約の一部として受け入れさせられているところは多いと思う。


そこを改革することが、再チャレンジを実現するためには、最優先されるべきことである。


それなしに「再チャレンジ」を叫ぶのは、絵にも書けない餅と同じである。




さて、のりぴーのこと

ある意味「再チャレンジ」が有効に機能している芸能界において、今回のサンミュージックの対応は、芸能人の再チャレンジの道を閉ざす流れにつながるのか? それとも、一時的なポーズで、これまでの前例のように、やがて救済されるのか?


罪は罪、ちゃんと、償ってもらいたい。


そして、再チャレンジのチャンスが与えられることを願う。


とかく責めるだけで終わりがちな現代社会においては、のりぴーが罪を償って再チャレンジによって復活することを願い協力しようとすることは、これまでのただ責めたてるだけの社会が変わるチャンスとなるかもしれない。


みんなが、そんな雰囲気を作っていこうと真剣に向き合えば、この不況の社会人を大切にしない社会の中に、人を救うという雰囲気が広がり始めるきっかけになるのではないかと思う。




みんな、優しくなろうよ・・・。

2009年8月7日金曜日

裁判員制度に関する洗脳報道が始まった。

裁判員制度、メディアを利用した国民の洗脳が始まったって感じがする。


政府や官僚とメディアが協力して『裁判員裁判制度定着キャンペーン』を繰り広げている感じだ。


メディアは、その是非に関する論点は排除したコメントばかりを拾い上げ、裁判員裁判を既成事実としてしようとし、国民が受け入れたことを前提とした報道ばかりになっていると感じる。



更に、裁判が終わってテレビに顔出ししたり、記者会見を開いたり・・・。


インタビューに答えたり・・・・。



今回の裁判員は、国家が仕立てたサクラ(ヤラセ)ではないかとさえ感じてしまう。


「ついでに、裁判員が欠席し補欠裁判員が繰り上がる運用のテストもやってみよう」と言ってテストをやったんじゃないかとも疑ってしまう




逆に、もし、今回の裁判員がサクラの裁判員でなかったとしたら・・・・。


こんな運用で裁判員の安全は保障されるの?


犯人に協力者がいた場合、刑期を終えた後、お礼参りも、やろうと思えばできそうな・・・。


守秘義務を守れる環境を作ってあげられているの?



「あなた、テレビ見たわよ!」


「裁判、どうだった?」


「被害者の写真って、どんな感じだったの?」



興味津津の友人・知人によって、ポロポロと守秘事項が聴きだされて漏れ出してしまう。



今回は、第一回目ということで、多くのマスコミも寄ってくるのではないかと想像される。



守秘義務を本気で課すつもりはあるのか?


訓練された人でない限り、色々聞かれればポロポロと話してしまうのは普通のことだ。




守秘義務とは別に、マスコミから守ることも、裁判員の安全の保証の一つに挙げても良いと思う。


これまでの普通の生活が脅かされる可能性があるからだ。


裁判員のこれまでの平穏な生活を維持することを保証するつもりはあるのか?





一体、どうなっているんだ?


マスコミも・・・、政府も・・・



裁判員裁判制度の始まりはグズグズだ。


それが私の評価です。

2009年8月4日火曜日

ナレーションに騙されるな!

NHKクローズアップ現代で、仏像盗難について説明している。




その中で、仏像盗難のことを次のように説明していた。


今、空前の仏像ブーム。

そんなブームに水を差す事態が起こっている。



ちがうちがう!

あぶないあぶない、うっかり、聞き流してしまうところだった。



仏像ブームが引き起こしたこと。



だ。



これに限らず、さまざな番組の、さまざまのナレーション、さまざまの解説に、騙されるな!


そんな些細な騙しの積み重ねによって、日本人は、すっかり、アホにされつつあるのです。


せめて、NHKくらいは、慎重に文章を組み立ててもらいたいものです。



みなさん、気をつけましょう!

推定無罪の原則を破綻させる報道関係

裁判において、推定無罪の原則があるということは色々な場面で耳にする。


その原則があるとしたなら、報道関係は、逮捕された被告の本名を報道してはならないことになる。


なぜなら、無罪の可能性があるからだ。


しかし、逮捕指名手配時点で、実名は報道されることになる。


逮捕が困難な状況の時は、情報を集めるためにやむを得ないという面もあるのかもしれない。


だが、犯人と推定される人が逮捕されてしまえば、やはり、推定無罪が適応されるはずだ。





そのような状況がある中で、裁判員裁判において、犯人にネクタイを着用させたり、法廷に入る前に手錠を外すなどという小手先の対処に何か意味があるのだろうか?!



司法は、この報道が崩す推定無罪の原則について、きちんと制限を加えるべきだと思う。



思考能力の欠如した報道関係者(=報道関係者の大部分)は、報道の自由言論の自由という斧を何の恥ずかしさも感じることなく振り回して暴れるのであろうが・・・。

2009年8月2日日曜日

ブレブレと書く記者はアホアホ?

首相の比じゃない…呆れた鳩山氏のブレブレ発言  (産経新聞) - Yahoo!ニュース


私にはこの記事の意味が理解できない。


どこに問題意識を持っているのだろう?


自己の理解できないことによって生じる問題意識を正当化しようとしているだけのように思える。

【政治部デスクの斜め書き】というように言い訳がましく斜めなんて使わずに

【政治部デスクの正論】とでも題して、正面から正々堂々と書いてもらいたいものだ。