2011年11月10日木曜日

「誠実さがない」ということで片付けそうになりかけたときに、気付いたこと

人からの問い掛けに対して、まともに答えない様子は、官僚や閣僚のやりとりのどれをとっても見ることができると思いますが、その例として、まず、2つの動画を見てください。



園田政務官の受け答えが、問い掛けに全くかみ合っていません。

 


法案成立前の解散総選挙を求めました。しかし、野田首相は「法案は出します。実施時期等もいろいろ検討して法案の中に書き込んでいきますけれども、その前に­当然実施をする前には国民の信を問うということは、基本的な姿勢として変わりません」と述べ「来年の通常国会に提出する関連法案には税率引き上げの時期などを明記する」、­そして「解散総選挙はあくまでも法案成立後に行う」と強調しました。

本当は、記者から「法案成立後に、選挙で国民に問うても、法律が成立してしまっては、変更するのが難しいんじゃないですか?」と問われて、「そうなんですか?」といい加減な返事をしている動画を載せたかったのですが、見つからないのでこの動画にしました。

質問を正面から受け止めて、きちっと返していないというところは、共通しています。

 

で、「どうして、政治に限らず、今の社会はこのようなやり取りが蔓延しているのだろう?」と考えていました。

(余談ですが、この傾向は、小泉氏が総理のときの日常的なデタラメな受け答えを境に、みんなが同じような受け答えをする傾向を強めたように私には感じられます。それ以前は、もう少しマシだったように思います。)


「誠実さ」がない?

 

経済や政治の世界にどっぷりはまり込んでしまうと、お金に目がくらんだり、保身のために、誠実さが欠落していってしまうのだろう・・・・

 

それを私の中の結論としようと考えていたとき、

ふと、東電の福島原発の汚染水を海に排水したことが、頭に浮かんできました。

そして、思いました。

 

いや、違う。

少なくとも、あの対応は違う。



大抵の場合、人は「普通は、●●するだろう・・・」ということをすると思っています。

それをしようとして、経験不足で失敗したりすることはあるかもしれませんが、目指すところは、自然と、「普通は、●●するだろう・・・」というところへ向かうものです。

 

でも、東電の原発事故の対応はそうはなっていない。

なぜ?

 

そうならない理由を考えました。

思いついたのは、

(1)頭が悪いから

(2)焦るあまり冷静に考えられないから

(3)何らかの理由で、別の(誤った)対応が正しいと信じ込んでいるから

(4)大きな力が働いているから

(5)関心がないから

 

(1)は一応挙げただけで、これはどんな人に対してもこれは当てはまらないと思っています。冷静に考えれば、誰でも正しい方向へと向かうものです。

(2)は個人レベルでは考えられますが、大企業組織レベル、国家レベルでは、考えにくい・・・

(3)は陸上の放射能汚染に対する対処については、当てはまる部分があると思いますが、放射能の汚染水を海に流すことには当てはまりません。

放射能汚染は日本で起きていることなのですから、(5)も日本人なら考えにくいと思います。

 

で、私の想像の中で残ったのが「(4)の大きな力が働いているから」というものです。

 

日本の国を動かして汚染水を海に流させるような大きな力って何だろう?

(しかも、そのちからは狂っている・・・・)

そう考えているとき、次の動画に出合いました。

 

 

これまで、ちょっと「記者クラブ問題」というのにはまっていたのですが、その動画をきっかけに、しばらく、別のものにはまることになりました。

 



 

NWO?

それは、今まで知らなかった世界へと私を案内してくれるキーワードでした。

はじめは「NWO」ってよく分かりませんでした。

少し分かってきても「近代社会なのに、そんなことがあるはずがない!」と思いました。

でも、それを肯定すると、私がこれまで疑問に思っていたことが、理解できていくので、「そんな側面はあるのかもしれない」と、ちょっと、自分の狭まった思考に風穴を開けてくれたところはあります。(それが「全く正しい!」とは、まだ、思っているわけではありませんが・・・)

 

余談ですが・・・・

「近代社会」という言葉は、たぶん、どの時代の人も、「今は昔とは違う」的な感覚は持っていたのではないかと思います。

つまり、100年後の世界から見たら、現代は「あの時代は、とんでもない時代だった」と呼ばれる可能性は大いにあるということです。

 

つづく

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