2009年7月28日火曜日

ワーキング・プア

昨晩、NHKの番組だったと思うのだが、公務員の非正規雇用によるワーキング・プアの問題が取り上げられていた。



失業した人に職業をあっせんするハローワークの職員の半分以上(たぶん)が非正規雇用で、自分たちもいつ失業者になるか分からない状況で仕事をしているということだった。


涙が出そうになる。


どうして暴動が起きないのかが不思議なくらいだ。


この国はいったいどうなっているんだ!?


この国には自浄機能などどこにもないのか?


官僚たちは、制度適用後、改善したことや悪くなったことなどをウォッチしないのか?


確信犯なのか?


官僚に、心の幸せというものを、再教育することから始めないといけないのかもしれない・・・・。


でも、教育する人がいない。


・・・・




悲しい気持ちにさせられる番組だった。


この日本という国家組織を、心から情けないと思った。

この世の人が、人としての幸福を忘れませんように・・・。

弁当4000円、セックス1回5000円

夫婦間BtoB取引で円満 | AERA-net.jp:


これにより夫婦間のコミュニケーションが良くなったというところがあれば、夫婦円満を手に入れるための有効な手段の一つとして活用できる。


しかし、夫婦円満とは無関係に、このようなことをやっていると、

  • 客観的に評価することのできない幸福が、手の内にないことに対する焦燥感に駆りたてられて
  • しかし、それを見つけ出すのがあまりにも困難でなかなか見つけられないので
  • 『客観的に評価することのできる何か』がそれに違いない・・・というところで妥協して
  • それが真実に違いない、それが自分の求める幸せだと、自分自身を信じ込ませ
  • 価値などの代替物によって、満たされない心を満たそうとする

というように、本来の望みを捨て、代替のものばかりを追い求めることになってしまう。


そうやって、いくらもがいても、いつまで経っても、心は決して満たされない。


そんな事態に陥らないことを祈りたい。



チョコレートを食べたければ、チョコレートを食べなければ、チョコレートを食べたことにはならない。

いくら、高級なキャンディーをあさっても、チョコレートを食べたことにはならない。


世の人々が、世に満ち溢れてしまっている誤った価値観から引き戻されて、自分の本当の幸せの方向に気がつきますように・・・(祈)

2009年7月26日日曜日

環境破壊と人間のおごり

3日程前、テレ朝のモーニングショーでレジェンド・ハンターというコーナーがあった。


昔栄えていたが、現在は廃墟となっているところを訪問することがテーマ。


今回は、昔、金の鉱脈によって栄えた北海道の町の跡を訪れていた。


その町は、すっかり森の木々の中に取り込まれていた。


建物の中にも大きな木が生えて、抜け落ちた天井から天高くそびえ立っていた。




現代社会において、環境破壊が問題になっている。


また、化石燃料の燃焼に伴って発生する二酸化炭素が、地球温暖化の原因として、その削減対策に取り組もうとしている。




しかし、それらは、人間の浅はかな考えだ。


人が何かをすると、それは、環境を破壊する。


農業ですらそうだ。


例え、山村で自給自足の生活をしたとしても、それが人の行いである限り、自然の営みに反して、自然を破壊するのだ。




しかし、人間が何もしなければ、レジェンドハンターで紹介された昔栄えた町のように、森にとりこまれるのだろう。


それが、東京の都心だとしても。




今、人間達は生きている。


それも、地球に課せられた試練なのだろう。


だから、人間の存在を否定することはしない。


しかし、自然を回復させるために、人に出来ることがあると思うのは間違いだ。


人が意思をもってすることは、全てが自然の破壊につながる。


本来、人は、誤った万能感の支配を捨て、そのような存在であるという自覚のもと、つつましやかに生きていかなえればならない。



意識は、自然の方向に向いていなければならないということだ。



しかし、人は、経済という虚構の方向を見つめている。


根拠のない万能感を伴って・・・。




地球温暖化は自分たちの活動のせいだという考えも、もしかしたら、人間の思い上がりかもしれない。


地球何十億年の歴史の中で繰り返されてきた大きな流れの中で、人間の想像も及ばない大きな力によって起こっていることなのかもしれないのだ。



そんな状況の中で、無知の科学が原因を特定したと錯覚し、その錯覚も、自然回帰ではなく、二酸化炭素排出権売買ビジネスへと結びついていく。


現代社会の人々、特に、自らが先進国と称している国の人々は、革命でも起こったり、滅亡でもしない限り、そんな思い上がりからは、解放されることはないだろう。



せめて、自然な価値観の中で暮らす人々を、グローバル化と称して自分たちの価値観にとりこみ続けることを止めてくれれば良いのだけれども、それも無理だろう。


人類は、行きつくところまで行くしか道は残されていないのか。



人が行きつくところまで行きついた後でも、きっと、自然は廃墟を森に戻してくれるだろう。

石灰化した地上を肥沃な大地に戻してくれるだろう。



現代の人を、天から大きな視点で眺めてみれば、ただ地球を破壊するだけの存在になり果ててしまっていることに気づくだろう。


自然を復活させることが出来るのは、人の力ではなく、自然の力だけなのだ。


まず、それを自覚しなければ、人類の存在は、日に日に危うくなっていくのだろう・・・。

運転免許書IC化の目的を想像した

運転免許書をIC化する意味を、更新手続きのとき


■偽造防止

■本籍情報を隠す(個人情報の保護)


と説明された。


しかし、非接触のICカードにする理由には不足しているように思える。


まぁ、警察官が携帯する端末やICカードの利権なんて話もあるかもしれない。



だが、タスポの記事(前回の投稿)を見て、もっと恐ろしい目的を想像してしまった


それは、個人追跡システムのようなものを、構築しようとしているのではないかということ。


自動車では、Nシステムと呼ばれている追跡システムが導入されているらしいが、それを自動車レベルではなく、個人レベルで行おうとしているのではないかということ。



店舗の出入り口に設置されているような万引き防止用の検知器のようなものを設置しオンラインでつなげば、免許書を携帯している個人は、その所在をある程度リアルタイムで把握することが出来るようになる。


表立っては出来ないが、将来的には、法律を作ってしまえば、店舗の万引き防止システムも、オンラインでつなげることもできるだろう。


また、そのような環境を整えれば、違う名目で何らかのICカードを携帯させれば、追跡可能な個人の対象範囲は広がる。


健康保険や住民登録カードなどが非接触のICカード化したら、その気になればとりこむことが出来るかもしれない。


ただ、これらは携帯する必要性の低いものなので、もっと、旨い口実を作って、非接触のICカードを国民全員が持たされるような手を打ってくるかもしれない。



SF映画のような世界だ。



プライバシーもヘッタクレもない時代がやってくるのかもしれない。









(注) これは、何の調査にも基づかない、モン吉のただの妄想です。

タスポ 終わった・・・・

私はタバコを吸う。 でも、タスポは、なんだか気持ち悪くて作っていなかった。 その気持ち悪いと感じた感覚が正しかったことを証明する実態が報道された。
日本たばこ協会は、共同通信の取材に事実関係を認め、「法に基づく要請には必要に応じて渡さざるを得ない。情報提供については会員規約で同意を得ていると認識している」と説明している。

関係者の話などによると、協会は求められた個人の生年月日や住所、電話番号、カード発行日などのほか、たばこ購入の日時や利用した自販機の所在地を一覧表にして提供。免許証など顔写真付き身分証明書の写しが添付された申込書のコピーを渡した事例もあった。

タスポ情報、検察に提供 日本たばこ協会 - 47NEWS(よんななニュース):

全国民ナンバー管理(総背番号制)も、あっという間に導入されてしまうのかも・・・と不安になる。 恐ろしい世の中になってきた。

2009年7月23日木曜日

熱中症

あいつら、とうとう、風呂に入ったときに陥る のぼせる と呼んでいたことまで、熱中症に仲間入り させやがった!


まったく、流行にだけ敏感な間抜け野郎たちだぜ・・・。


これこそ、本当の ゲーム脳 だ。


高度ぼやき症候群 の 私が言うんだから間違いない!



[今日の夕方のどこかの放送局の報道ワイドショーの特集を見て・・・]

男女平等

どこかで男女平等に関して強く主張しているのを見かけたのでちょっと書きたくなった。



男女平等は、それを主張したい状況に直面した人が、個人的に主張すれば良い。


そして、誰かが男女平等を主張したときに、「その主張を受けた人が、その主張を大切にするような雰囲気」が、社会に広まれば良い。



社会が、特定のことに対して男女平等を主張しすぎると、世の中がおかしくなってしまう。


男女平等が人の幸せを作るわけではない。


男女平等は、特定の人にとっての幸せを得るための、一つの手段にすぎない。


正確に書くと、特定の人が、特定の状況で、自分を取り巻く不都合を取り除くための手段だ。


しかも、それは、ただの仮説に基づいたものであることも忘れてはならない。


社会で名誉を得ることになっても、それが、本当に求めていた幸せかどうかは分からないのだから。


男女平等にこだわる前に、自分にとっての幸せにこだわった方が良い。





あなたにとっての本当の幸せって何ですか?


本当にそれで良いんですか?

2009年7月20日月曜日

批判できることに批判する人が群がる社会

「女湯に男児を入れる母親は不愉快」で議論白熱


なぜ、こうも 批判できること に 批判する人たち が 群がる のか?



ほっとけない!


ってか??

2009年7月19日日曜日

報道番組・ワイドショーを見ないでおこう

結局、どうして、こんなに色々なことにイライラしているのだろうとと考えてみた。


テレビでワイドショーや報道番組を見るたびにイライラしていたことに気がついた。


キャスターや解説者・評論家は、ろくに取材もせずに、事実に基づかない空想の世界の中で、好き勝手なことを主張して、特に問題もないところにも、波風を立てようとしている。


しかも、そのあとは、丸く収めることもせずに、自己の主張の責任を放り出してしまう。


そんな自分が興味の無いことを、中途半端な批判とともに提示されて、その辻褄合わせを、いちいち考えさせられていたことに気がついた。



テレビの報道は、結局、テレビ局のフィルターが掛けられている。


通りを歩く人たちのインタビューを見せられると、一般の人の意見が取り入れられているように錯覚してしまうが、それすら、テレビ局がピックアップした情報に過ぎない。


本当の声、価値ある声は、テレビ局のフィルターによって濾しとられ、こちら側にやってくることはない。


そんな情報にさらされていると、私たちは、本当のことが分からなくなってしまう。


何が本当で、何が嘘か?

価値のあるものは何で、価値の無いものは何なのか?


現代社会の悶々として鬱々とした雰囲気は、報道関係者が作り出したと言っても過言ではないような気がする。

2009年7月13日月曜日

政局なんて報道するなよ

政局なんて、一般市民にはどうでもいいことだということを理解していますか?

特に、衆院解散の時期が、都議選直後だとか、いつだとか・・・

そんな細かいことは、どうでも良いこと。


我々は、どの党に政治を任せたいのかについて、単純な意見を持てばそれで良いのである。

それを判断するためには、

  • 実行した政策は何か
  • 何に問題意識を持っているのか
  • どのような政策を提案しようとしているのか
  • 提案した政策は何か

だけを報道してくれたら良い。

それに対して、我々は、現政権を継続して欲しいか、継続を拒否するかの意思表示をするだけで良いのである。

なのに、マスコミは、真顔で政局なんか報道するから、一般市民までもが、それを真に受けて、どうでも良い解散の時期がいつが良いかという市民にとってはどうでもいいことに意見を持ってしまい、まるで自分が政治家になったかのように、市民として持っても意味の無い意見を持ち、主張するようになるのだ。

我々が主張すべきは、

  • 政権を続けてもらいたいか
  • 政権を継続してもらいたくないのか

それだけを端的に主張するだけで良いのである。

マスコミ諸君、もうそろそろいい加減にしてくれないかね、

民意を混乱に陥れるのは・・・。

2009年7月9日木曜日

日本人 総白痴化 大作戦 [ 消費期限 ]

昔、食品に、賞味期限という考え方が導入される前は、製造年月日だけが表示されていた。


冷蔵庫の中の食品が「そろそろ腐ってくるころかな・・・」という時期に差し掛かると、 その頃の私たちは、

  1. まず、においを嗅ぎ、『記憶にある個々の食品独特の腐ったにおい』と照らし合わせて、ダメそうなら捨てて、大丈夫そうなら少し食べてみる
  2. 少し食べて、『記憶にある個々の食品独特の腐った味やにおい』と照らし合わせて、ダメそうなら捨てて、大丈夫そうなら食べる
  3. 『過去の経験』と照らし合わせて、「これくらいだったら、吐き気を催したり腹痛や下痢になったりしない」と思えば食べ、そうでなければ捨てる

そんな手順を踏んでいた。


或いは、経験から導き出した製造日からの経過日数によって、捨てる・捨てないの判断をしていた。


『消費期限』の制度は、そんな判断を人から取り上げてしまったのだ。


日本は国を挙げて、『消費期限』を記述する制度を導入して、

  • 「自分の感覚を手放せ!」
  • 「自分で考えるな!」
  • 「自分で判断するな!」

と我々に迫っているのだ。


表示されている消費期限を経過していないものであれば、腐って酸っぱくなってしまっていても、何の疑いも持たずに食べてしまう人が、既に作り出されてしまっているのではないかと心配になる。


そして、自分の感覚や判断を放棄させられてしまった人たちが、そんな食品を口にして体調を崩した時の叫び声が、私にはもう聞こえくる感じがする。

  • 消費期限内の食品を食べたのに、体調を崩してしまった。どうしてくれる!
  • 衛生管理はどうなっているのだ!
  • 鮮度管理はどうなっているのだ!
  • 危機管理はどうなっているのだ!
  • 休業補償をしろ!
  • 慰謝料を払え!

自分の責任(感じ考え行動する)を取り上げられてしまったのだから、他人の責任を追及するしか、もう道は残されていない。


何にしろ、過保護な対応は、人から自己責任能力を取り上げ、他人を責める人を作り上げるのである。


今のところ、ニュースでよく耳にする『責任能力』という言葉のように世に問題提起をすることはない。


『自己責任能力』を保障するために、個人個人の感情・思考・行動を、もっと尊重するような社会に戻していかなければ、世の中は、もっともっと、とんでもないことになりそうでならない・・・。

2009年7月7日火曜日

新型インフルエンザのこと

新型インフルエンザってどうなったのだろう?

我々がマスコミに踊らされる理由。

それは、片側の情報がいつも欠落し、一つの情報のみを与えられること。

マスコミが飽きるまで、その情報を与え続けられ、マスコミが飽きるとその情報を流さなくなるというマスコミの習性。

毎年流行るインフルエンザの患者数と死亡者数の統計ってどうなっているの?

君たち、その辺、整理して、比較しながら、報道しろよ。

ただ、その時に気になったことを、気が済むまで報道し気が済んだら終り。

ネットに数多く存在するまとめサイトの方が、よっぽどジャーナリズムだ。

マスコミ・報道関係の方々、一度、仕事を辞められたらいかがかな。

2009年7月3日金曜日

社会が直面している矛盾の一つ

金川被告、閉廷間際に無言で机倒す 2カ月先の次回公判期日に怒り


短絡的に考えれば、次のようなことになってしまう・・・・。

【課題】
自殺ほう助が無差別殺人などの凶悪犯罪を減らす。

(矛盾)

自殺者を減らさなければならない。


【答え】
自殺者は減らず、犯罪も減らない




自分が死に至るまでの経緯のイメージが違うだけで、結局、両方とも「死にたい」気持ちになっている。

人が死にたくならない社会にすればいい。

それだけのこと。

なぜ、死にたくなるのか?

普通の人が普通に考えていても、答えは出てこない。

識者や権威者の話なんか聴いていないで、悟りを開いた禅の老師にでも、教えを乞いなさい。

良い勉強になりました。

堀江氏のブログに次のような投稿があった。

ソープランドと売春防止法
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10291729644.html

国家権力の、非合法・合法に関わるダブル・スタンダードについて書かれています。

なんかこれまでスッキリしなかったことが、スッキリしました。

良い勉強になりました。

2009年7月1日水曜日

ニート支援法成立だって・・・

http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=pol_30&k=2009070100062

ニートとは、国の教育政策の過ちを正しい方向に引き戻すために自然に生じている流れだということを理解していますか?

それを理解せずに、法律を作り、その原因となった国策に従わせようとすると、人々の心の闇はより深まってしまいます。

インフルエンザにかかった時、高熱が悪いと認識し、解熱の対処だけをすると、ウイルスは増殖し、人の体は致命的な打撃を受けるのです。

この法律もそんな対処ではないかと心配です。

文部科学省の愚かな政策によって希望を捨てさせられた人たちが、この法律で、更にその逃げ場も奪われてしまうのです。

我々、一般ピープルは、無能な官僚による支配の奴隷から抜け出すことができません。

最近、BOSSというテレビドラマで、テロリスト役の反町が言っていたセリフが心に響きました。

「なぜ、この国の人々は、暴動をおこさないのか?」

この国は、暴動やテロを通り越して、革命やクーデターが起こる基礎が出来あがってしまっていると思っています。

なのに、なぜ、それが起こらないの?

それは、長年の教育制度の成果として、人々は「うつ的」な傾向を植えつけられてしまっているからです。

そして、指導者が不在だからです。

政権交代などということでも、このリーダーを獲得できないような・・・・。

バランス感覚があって、真実を見きわめ、心の正義のために行動できる人であれば、問題ないでしょう。

しかし、ここに、偏った指導者が現れてしまったらと思うと、恐ろしい。

誰でも、人は、リーダーと思う人に飛びついてしまう心理に陥っているからです。

人々の熱狂的な支援のあと、手腕をふるいだしたその人は、その人の心の偏りや価値観の偏りを露呈し始めるのです。

その時は、もう遅いのです。

末期的状態にあるこの国は、もう、とどめを刺されてしまったあと。

東国原さんは、大丈夫なの?

人々は、もっと冷静に、しかし、強く自分の思いを主張しなければなりません。

誰かを支援するのではなく・・・・。

歴史のことはあまり分からないのですが、何となく、今は江戸末期に似ているような・・・。

この国の現状を、そしてこの国の将来を、心から憂いている人たちが、リーダーシップを発揮してくれることを切に願っています。

なんて心配をしなくても、もしかしたら、坂本竜馬のように維新実現のために調整に奔走している人は、既にいるのかもしれませんが・・・。