2011年6月2日木曜日

内閣不信任案がどうのこうのと言っていたが・・・

内閣不信任案がどうのこうのと言っていたが、実に下らない。


ずっと、自民党や民主党の政治ごっこを見せられている気がして、もう、なんだか気持ち悪くなってきた。



官僚支配が問題にされているが、根本的な問題は政治腐敗(というか政治堕落だと思えてきた。




明治維新では、江戸時代が終わり、新政府が立ち上げられた。

その際、ご存知のように、攘夷や尊王や開国やと、命を懸けた活動が繰り広げられた。


私は、坂本竜馬や新撰組や勝海舟をとりあげたようなドラマや映画などから得た情報によって、


  • 徳川に支配される歪な世の中だった
  • だから、民主主義に目覚めた活動家たちが、明治に世を導いた
  • そして、民主主義の「良い時代」になって安定した

というように理解している。


江戸時代と現代を比べたときに、

  • 明治維新は、江戸時代という特殊な時代だったからこそ起こった出来事である
  • 現代は、世の中が最終的にたどり着くべき民主主義の世界
    (実際には、明治維新後、戦争やら色々の歴史を経ることになるのだが・・・)
  • だから、もう、明治維新のようなことは起こらない

とした漠然と感じていた。



そして、江戸時代維新という出来事を滑稽にさえ感じるところがあった。



だが、そうではないと分かってきた。

現代も「その頃に負けないくらい滑稽な状態」になってしまっているということだ。


民主藩と自民藩が朝廷ではなく国民のお墨付きをもらって権力を握る。

そして、その国民からのお墨付きを、守ろうとし、奪い取ろうとする。

でも、国家の仕組み自体は何も変わらない。




政治家以外のコンサルタントを大勢集めて、新しい国の形再設計して、一からスタートさせなければ、日本という国が破滅するのではないかと危機感を感じる。


国家をコンサルタントするような立場は、普通は、国よりも大きな枠組みにしか与えられないだろう。

例えば、国連は「国よりも大きな枠組み」というものに該当するだろう。

しかし、自分の国を、外国にコンサルタントしてもらうのは、かなりおかしい。

各国の思惑がそのコンサルテーションに入り込むことが予測されるからだ。

やっぱり、「国民のことを大切にする国を、自分たちの思いで作る」ということは大切だ。




では、政治学者や社会学者が集まる学会に頑張ってもらって、新しい社会、新しい政治を、提言し続けてもらうか・・・・。

これも、新しい形を提言は、既存の仕組みの研究家が潰しにかかったりするので、既存の枠を画期的に逸脱させることは難しいだろう。




国民が政治に参加するか・・・・?


といっても、選挙に行って、選挙権を行使したところで、新しい社会・新しい政治へと良くなる方向に世の中を動かせないことは、民主党に政権交代したときに、既に学習済みだ。





たぶん、現在は、まさに、明治維新が起こったときと同じような状況にあるのだと思う。


こんな状況の中で、坂本竜馬たちは、現代で言えば、『政府、政党、衆議院や参議院といった議会、官庁という枠組み』に値する徳川体制とは別の枠組みを模索し、そして、新体制への移行を実現させたのかと考えると、彼らのやったことは、本当にすごいことだったのだと改めて思う。




歴史を振り返ってみると(といっても、あまり詳しくないが)、結局は、
  • 権力を持つと、自浄作用が働らかず、権力へのしがみつきが起こる
  • 権力にしがみつこうとする人たちに、世の中の人々が振り回されるようになり、不満が蓄積する
  • 不満が極限に近づくとと、破滅へ向けてのクーデーターのような出来事が起こり始める
  • 不満がクーデターを引き起こし、新しい体制になる

ということが繰り返されてきただけだと思える。


だから、本当に作るべきは、権力を保持していても、自浄作用が働く仕組みを持つ社会なのだと思う。

クーデターなど起こさなくても、世の中は良くなり続けていくような社会。

  • それが、どんな仕組みなのか
  • その仕組みへどのように移行させるのか


なんていうことは、今はまだ、頭の中に全くない。





明治維新を実現したのは武士という支配階級だ。

だから、現代においては、政治家の中から志士のような人たちが現れることを、国民としては祈ることしか出来ないのか・・・?







これからも、妄想がてらチョコチョコ考えていこうと思う。